私も海外で長く仕事をしてましたが、今の日本ほど犯罪予備軍が大手を振ってる国はないかもしれません。
ファーストフード店では「セルフサービス」が原則なのに、彼らは食い散らかしたまま帰ります。コンビニの前でしゃがんで唾を垂らしながら携帯のメールチェックしてる姿なんて、首都圏では日常でしょう。
・・・アメリカは「自由と権利の国」と言われてますが、現在、冬季五輪が開催されてるユタ州で同じことをやったら、成人は禁固3年以下または罰金千ドル、少年でも罰金500ドル以下に加えて380時間以内の労働奉仕が義務付けられてたはずです。どうやら戦後日本の刑事司法では、殺人犯も被害者も一緒くたに扱うことが「平等」とされ、殺人犯を生き長らえさせることが「人権擁護」と定義されてきたようですね。
日本の少年法も改正され、それなりに成果は上がってるようですが、未だに「殺人を犯した少年を死刑にしても被害者は戻ってこない、加害少年の更生こそが被害者への最大の償い」などと言い放つ人権屋もいるのです。
・・・だったら、殺人犯が更正して善人に生まれ変わったら、殺された被害者は戻ってくるのでしょうか!?
「人殺しには未来がない」と諭せない社会に、再犯防止や社会教育が期待できるのでしょうか?
死刑制度についてここで述べるつもりは毛頭ありませんが、人を殺めた犯罪者は、一生人殺しとして扱われて然るべきです。シンガポール15年さんが引用されてた「東村山ホームレス惨殺事件」では、加害少年の保護者が「成長する過程の中で起こったこと、と思いたい」などと寝ぼけたことを言ってます。親ならば「世の中には取り返しのつかないこともある」ということを、体を張ってでも教えておく義務があったでしょうに・・・ 親になるのは簡単でも、親を全うするにはそれなりの覚悟が必要なのに。
京子様の日記を拝見していても、加害者の親が醸し出す「感受性の鈍さ」とか「人間性の欠落」は、もう救いようのないものを感じます。彼らは、きっと殺人犯の親にしかなれない人達かも知れません。根気よく接触を試みておられる京子様には頭が下がる思いですが、彼らに過度の期待を持つのは不毛な気もします。NPO法人も設立されたことですし、民事訴訟も含めた「実質的手段」を講じられるのも選択肢の1つです。老婆心ながら。
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