14日付の京子様の日記を読ませていただきました。哀しすぎる・・・
本当に、哀しすぎます・・・教育者の言葉が「外部の方・・・」だなんて・・・たとえわずかな時間であったとしても、自分の学校の生徒であった友樹くんとご家族の方を どうして[外部の方]と呼べるのでしょう・・・?
その神経はどこから養われてきているのでしょう・・・?
友樹くんと同じ学年の生徒さんたちが卒業されるその時に、むしろ校長の方から「まだ ご両親さまの心の傷も癒えていらっしゃらないこととお察し致しますが、もし 失礼でなければ、友樹くんもご一緒に卒業式にご出席いただけないものでしょうか・・・。」くらいのことを言ってきて然るべきではないのでしょうか・・・?「まったく頭になかった」などと、よくも恥ずかしげも無く言えたものですね・・・。このような人を=恥知らず=と呼ぶのでしょう。
校長にとって「過去の事」になっている・・・というよりも、友樹くんの犠牲を きちんと正面から受け止められていない・・・ということではないでしょうか?きちんと受け止めていたならば、過去の事であろうと、今現在の事であろうと 向き合う姿勢はひとつであるはずです。
私も、教育者には散々な目に遭いましたが、一般社会人と違って、「責任」とか「物事に 正面から向き合う」といった言葉は教育者の心の辞書には無いように思います。決め付けてしまってはいけないのでしたら、「責任」とか「物事に 正面から向き合う姿勢」といった事を考えられない,あるいは 考えようとしない教育者があまりにも多くなってきている・・・とでも申しておきましょうか・・・。
まったく・・・嘆かわしいことです。このような人間が教壇に立ち、あるいは校長として教師を指導し、子供たちを指導しようというのですから・・・。 そして、私たち親に このような輩に我が子を教育されることを拒否する権利が与えられていないのですから・・・。
京子様の心中をお察しすると、腹立たしさがこみ上げてきて とても眠れるような気持ちになれませんでした。 本当に・・・教育とは、一体何なのでしょう・・・?
スイートピーより・・・
追伸:友樹くん,昨日はバレンタイン・デーでしたね・・・こんなオバサンからチョコもらっても、あんまり嬉しくないでしょうけど、気持ち,置かせていただきました・・・
食べてくれたでしょうか・・・?この日くらいは、つらかった事,哀しかった事,悔しかった事,ぜ〜んぶどこかに置いといて、そちらでのお友達と 誰が何個チョコもらった!
なんて,楽しい話で笑い合えたらいいのにね・・・