雅さんへ
 深い読みの暖かいメッセージありがとうございました。
 命の分身を亡くした者にとって、思想も価値観も、心や精神のすべてが、過激に命の問題にかえっていくのだと思います。人の神経を切り刻む言葉すら、敏感に命の問題として反応してしまうのです。そのことを、私の言葉への抵抗から、感性で読んでくださっていたのかなと思います。
 平和なとき、友樹君の命も、良道君の命もこんなにも大切なのに、戦争やテロリスト探し報復となると、なぜ命の犠牲が量の話になってしまうのだろうかと思います。純粋に命の問題から見て、今回の署名依頼を飯島さんがメールの掲示板に掲示されたことは、少しもおかしくはないし、管理人の飯島さん個人の問題だと思うのですが、本当に、いったい誰のHPなのでしょう。発言数の多い私も同類かな、と思いながら雅さんの投書を読ませていただいていましたが・・。お返事ありがとうございました。
 
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 良道君のお母様へ
 お悲しみで、他人事どころではありませんのに、被害者の方たちと並べていただいて、暖かい励ましを、ありがとうございます。私は、自分の喪失感は、体験しない人にはわからないと思うものですから、小さな憎しみならともかく、殺人被害者の方の憎しみは、到底わからないと思っています。憎しみ、と言われると、共感の意味では番外で、何も言えなくなってしまうのですが、大変なエネルギーを消耗されること、読ませていただいて伝わってきます。本当に、憎しみをどうするかは、生涯の難題ですね。
 私の場合は、憎しみの対象がない分、責めが全部自分に返って来ます。息子が、「育て方は間違ってなかったよ」と言ってくれていましたが、救えなかったこと、気づけなかったことへの悔恨は、だれにも言えないまま、ずっとわが身に付きまとっていて、良道君のお母様がおっしゃる気持ちがとてもよくわかります。
 
 心の体験を語り合ってくださっていることで、メールの掲示板が救われていると思います。言葉の感じ方は、ひとさまざまで感性の問題ですが、持論をアピールするために他者を嘲笑したり、刺したりする言葉および人格や職業に関わる非礼は、私にはどうしても許せません。言葉は言われた人だけの問題ではなく、読み手にとって、心の病ともつながる重いい問題で、低レベルのお話などではないつもりですが、体験のない健康な人には理解できない話題なのでしょうか。なによりも読み手の中の傷つきやすい人、柔らかなこころの子供たちの心を傷つけない環境にしたいと思って、抵抗しているのですが、体験の違う人に伝えることは論旨が食い違ってしまって、とても難しいことです。皆さんにもご迷惑をおかけして、申し訳ありません。お気遣いありがとうございました。    飯田 啓子