皆さんへ
素晴らしい、議論をありがとうございます。
飯島さんのHP提供のご努力、頭が下がります。
それもこれも、悲しい出来事が起きてからの、
どうしようもない感情の発露となって、
お互いの姿勢を糺しあう、機会となっています。
もちろん、私もその一人ですが、
それでも、飯島さんの努力に報いるようなことは何もできません。
ゆうき君のことは返す返すも残念です。
その事件の処理をめぐる時代環境の
これほどの矛盾はないでしょう。
一人一人が、自分のところで努力はしているのでしょうが、
事件が起きてみると、やはり、以前と変りません。
ゆうき君のことがあって、
それは2度となければ良いのですが、
それは何度も何度も起こりそうなので、
その時には、加害者にはこうして欲しい、
被害者にはこうして欲しいという思う気持ちが先立って、
法律を変えたり、制度を変えたりの努力が続くのです。
本当はゆうき君の事件は2度とあってはならない。
たとえ、時代がどうあろうとも、
私の知り範囲、見る範囲では決して起こさせないという努力を
みんながしてたら、あの惨たらしい事件は起きる筈がないのだが、
私にも自信がない。
だからといって、それでよいのではなくて、
私は、私なりの信念で、私の見る限り、知る限り、
ゆうき君のような事件を起こさせない努力をしていかないと。
それは飯島さんへの支援とはいかなくとも、
連携しているという感情の共有ぐらいはあるのかなと。
しかし、支援も、連携も難しい。
当事者同士なら、少しは意志の疎通があるものを、
全く、異次元の生活に落し込められた飯島さんと
日常性に埋没する私との連携はさらに難しい。
ついつい、他者の意見に従うように、マスメディアに頼る。
警察に依存する。
実は、このHPにも偶然に参加しているし、
情報の共有のみで、長々とお邪魔していて、
しかも、些細なことだが、
私からの行動がここからも生まれている。
それでも、素晴らしいことだと思う。
情報を共有することで、
しかも、飯島さんというしっかりとした事実認定者が居て、
迷う事なく、それを踏まえた議論、それを踏まえた行動、
もし、支援金でもなく、共同行動でもなく、
支援・連携の形があるとしたら、
ここでの議論を「2度とこの事件を起こさせない」
自らの行動、自信を持つことのようだ。
それは古い自分ではなく、新しい自分である。
なぜなら、この事件はもっとも新しく、かつ、未解決な事件だから。
志田糺