確かに、一人の命が失われて、理由はともあれ、身代わりになれたら、側に入れたら、ああしたら、こうしたらと後悔するものです。
飯島さんのお陰で、このHPで多くの実体験を知るようになりました。
ゆうき君の尊い命を失っての始まりですが、私たちはその前に何とかしたい、何とかできなかったのか、その思いがこのHPを支えているような気がします。
それぞれが、精一杯の経験を語ってくれて、今後も沢山の経験が積み重なって、少なくとも、この関係者の近辺からは、2度と過去の経験の繰返しはないだろうと確信します。
しかし、この輪は全く小さいし、さりとて、急速に拡大するものではなく、一日一日の積み重ねで、こうした輪が日本中に、世界中に広がる夢を持ちます。
しかも、犯罪、事件、事故はいつも予想もしない、予期もしないことから起こります。
この場所での経験の交流と、その助け合いの輪はそうした予期しないことへの対処、防御、対応をハウツウしてくれるものと信じます。

明石の痛ましい事故、私も隅田川花火大会両国橋で経験しました。橋に入るや否や大人でさえ自由になりません。
幼児を抱き、幼稚園児の手を引きながら、その地獄を呪ったものです。以降、私は花火大会には行きません。何故、あの混雑を人は選ぶのでしょうか。都会も同じです。この混雑の中で、何故、犯罪地域に若者は群がるのでしょうか。
昨日は中学生1少女が高速道路に手錠をかけられ、放り出され、頭蓋骨折死したようです。少年犯罪と同じに、幼児虐殺が増え続けているようです。何故ですか。

時々、ここでも自殺者の話が出ます。私自身がというよりは誰でもがそうした誘惑に駆られるものです。しかし、断固と生き、断固と命を守ると言い聞かせながら、人は生きていくものと信じています。私も多くの友人を自殺でなくしました。
ある教え子は明日をどうするかを語らった後に「家の物置小屋で首吊り自殺」です。
正義感、責任感の強い学生でしたので、日頃の悩みというか生き方の模索だったのかもしれません。
確かまだ、少年でしょう。ある少女は自殺願望でした。危険を承知で子供を持つ我家で和むのではと預かりました。
危険と隣り合わせの毎日でしたが、大島航路で自殺を図りました。死にきれずに、再度、鹿児島の実家での自殺行為で亡くなりました。学園闘争に疲れて、飛び降り自殺した同僚、仕事に疲れて、飛び降り自殺した社員、電車に飛び込んだ教授も、数え切れない死の恐怖が周囲にあります。

そこで私に何ができたのかと後悔します。もちろん、この中で、マスメディアが取り上げたのは2,3でしょう。
それらの人たちには命の尊さを諭すこともできない。犯罪者には命の尊さを諭せても彼らには、それすら出来ないし、それが逆効果の場合もある。
私は人の命を救うは人の命でしか贖えないと思っています。生物界では当たり前のように親は子供を産んで死に行きます。人の世界であっても、子供ために、親は命を削ります。他人であっても、その人を助けようとすれば、自らが犠牲にならないと救えない場合が多いと思います。ゆうき君の死の現場、誰かがゆうき君を救う勇気があったら、しかし、それはその友人の死を招いたでしょう。些細なことで、ホームで電車で殺された人も多い。しかし、今問われているのは、命を守るための自らの命を捨てる覚悟ではないかと思います。無駄死にでは無しに、訓練されて、勇気を持って、現場での適確なる判断で、人の命を守るように、お互いが確認していく世界が必要かと思います。人の命は人の命に替わるものです。

法律も、警察も、大切ですが、何よりも、自分の命は自分で守ることが大切です。
警察官がいくら増えても、一人の警察官が救えるのはたった一人です。半分以上が警察官にならないと人の命は完全には守れない。それは警察国家となって嫌でしょう。
親が子供を守るように仕組まれた社会が基本です。このHPでは多くの命を守る隣人ができたような気がします。
志田糺