はじめてお目にかかりますイリスと申します。
少年犯罪被害当事者の会の意見掲示板をひき払ったのと同じ人間です。一さらいではありますが読ませて頂きました。誠に痛ましい事件であり、御冥福をお祈りいたします。そして、罪を犯した少年達、いや誰が犯人であろうとも、例え裁判所で裁かれなくとも、罪を自覚して人間的に苦しみ、贖罪をする事を望みます。
 
さて、一つ考えた事があるんです。それは、
「本当に被害者の利益について考えている人」と「被害者を持ち出す処罰欲旺盛な人」と言うのは違う、ということです。大袈裟だと思われるかもしれませんが、今インターネット上で検索をかけるとそういう意見に対してのヒットが少なくないという事は付け加えておきます。 
私は、ここや被害当事者の会には前者の方が多いと感じます。逆に、Yahoo掲示板などには後者の方も少なくないと感じる事が多くあります。そして、継続して投稿している人には前者の方が多いと感じます。
私は、皆さんの言う所の「人権派」<屋かも>という立場です。しかし、皆さんの立場から見て、「人権屋」と「人権派」が違うと言う話をここに紹介した人がいるように、私もそうした二つの考え方や行いの違いを感じているんです。 
 
例えば、当事者の会の方で議論した時にも、前者にあたると私個人としては思っている人には全員と言うわけではありませんが「被疑者段階の匿名報道」に賛成してくれる人が少なからずいたんです。なぜか、というと、「被害者の皆さんには事件と正面から向き合って欲しい、仮に冤罪という結末になった時に遺族も不幸な事になる、そのためには犯人と決まる前から実名報道する事は避けた方が良い」ということでした。実際、遺族の皆さんがそれによって予断を植え付けられ、冤罪と分かってしまったケースを私は知っています。話を本人から聞いたわけではありませんが、もどかしい思いをした事でしょうし、疑われた人と遺族は話し合う事も出来ないでしょう。
そして、棺桶の中の亡骸の写真を無理矢理撮るような無法なマスコミから被害者を守る事とそうした改革を同時進行で進めていくべきだと言う考え方を持っているように感じます。
また、彼等は人権派である事「それだけ」を攻撃の対象にする事は全くと言っていいほどないです。人権派の意見の中身の方を問題にしています。実際、起訴前の弁護制度をはじめ、検察・弁護双方から厳正な<ただ、外した場合にとり返しがつかない、と言うのは行き過ぎだと思うので、私自身としてはそこの改正に反対の部分もある>刑事手続をすべきではないかという私の意見に対して、「被害者の皆さんの人権擁護とは何も対立しないではないか」として賛成してくれた人がいました。
そしてその上で、「被害者のためでもある厳正な罰」が彼等の目指す所です。私の考える人権派と結論は異なりましたが、それ以前の思考過程はとてもよく似ていると感じます。目の前の少年犯罪で罪を逃れた少年の例のみならず、私が提示する冤罪の例や家族に対しての害にも注意を払い、極端な重罰を避けるべきではないのかという意見に対してもそれなりにではあっても耳を傾けてくれます。「厳正」の中身がとても素晴らしいと私は思うのです。 
 
これに対し、処罰欲旺盛な人と言うのは人権派とかを十把ひとからげに扱う傾向があります。そして、論法にも奇妙な点が多いです。

何より、言ってる事が被害者の皆さんより過激な事が多いです。被害者や遺族の皆さんが事実認定の段階で冷静になれない、と言うのは仕方のない事だと思いますし、ましてや責め立てるつもりなど毛ほどもありません。しかし、そうした人たちの中には「あんな悪い奴の弁護人は死刑」とか、「人権屋どもの家族の近辺に危害を加えよ」などということを言う人もいます。Yahooには「菊田幸一<人権派とされる知識人>を殺せ」等と言う物騒な名前の人もいます。
そして、多くの冤罪事件で、冤罪被害者の皆さんを社会から抹殺し、悪戯電話をかけ、脅迫状を送り付け、酒鬼薔薇の家族を住めなくし…という事をした連中と処罰欲旺盛な人と言うのは一緒だと思います。本当に正義感があってやっている人が何人いるのか、疑問に思います。その証拠に、脅迫状を送りつけた人や悪戯電話をかけた人の中で謝った人などいない例がほとんどだそうです。恥ずかしくて謝罪できないと言うのなら分からないでもないですが、脅迫状や悪戯電話などと言う違法行為の出来る豪胆な人が全員そういうことを言うとは私には思えません。犯人視してごめんなさいと言う手紙を送る人もいますが、そういう人は最初からそんな事をしないようです。 
もっとひどいのが、「被害者が報道されるんだから被疑者・犯人も実名報道すべきである」という論法です。被害者の報道と被疑者・犯人の報道は交換条件なんでしょうか。浅野健一氏<公人以外全ての犯罪報道を匿名にすべきと主張している人、少年法改正反対の論陣を張っている>も、被害者の匿名報道は被疑者の報道以前の問題である、として、双方からの改革を求めているのに、です。
最悪と言うべきは無罪判決が確定している人を攻撃するのに被害者を持ち出す事です。どうしてそう疑うのか説明もせず、それどころか判決文も読まないで被害者だけを持ち出して「あいつの冤罪は嘘だ!」とか「全部人権派が悪い!」などと言い出す小林よしのり氏や週刊誌らには私は頭から熔岩が出ています。そういう人による悪意の焚き付けが遺族を苦しめている事を知るべきです。今の北陵クリニック筋弛緩剤混入事件も、無罪判決が出た場合の遺族の皆さんの苦しみは二次被害と言うべきだと私は思います。
 
私の知る限り、遺族の皆さんがそうした事を主張している、弁護人は死刑になればいいとか、あいつの家族を殺してやるとか、冤罪でもなんでも構わないから犯人を出すべきだとか、悪戯電話をかけて精神的に苦しめろなどと言っているシーンなど見た事はないです。殺された時を考えよ!と言う事は死ね!と言っている事とは絶対違いますし、実名を出すべきだ!という意見はあっても、自分で「制裁目的」と言う触れ込みで実名を出している遺族の人も私は知りません。
勿論、私の意見など「腐れ人権屋の戯言」ぐらいにしか考えていない返事ばかりです。本当に被害者のためにもなると前者の人が賛成している事に興味の一つもないのです。彼等の目的は、「悪い奴を罰する」のみであり、その被害者に対しての考えの中身は悪く見れば空っぽ、好意的に見ても、暴走してしまっているとは思います。行き過ぎた仇討ち論はそのいい例です。
そして、私自身、こうした人たちの意見に惑い、被害者の皆さんの本心までもを勘違いしてしまっていた時期が確かにありました。
 
私個人としては、ただ処罰欲旺盛な人が被害者を駆り出している状態よりは被害者の事を考えているつもりです。皆さんはいかがお考えでしょうか。私はここを議論の場にするつもりはないので、継続して意見を書くつもりはございませんが、是非考えて見てください。自分にそんな面がなかったかどうか、自分がそうでないのなら他にいるそうした人たちとどう付き合っていくべきかを。
参考までに、下のアドレスは前述の浅野健一氏の「本当に被害者の事を考えているのか」という文章へのアドレスです。よろしければ見てみてください。少年犯罪がらみではなく、大阪池田小学校児童殺傷事件に関してのコメントですが、参考になるかと思います。
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2001/osaka2.html