一浪さんの少年犯罪と少年法に関する意見、被害者として、少年として、冷静に客観的に書かれていて、感心して読んでいます。仙台での公開討論会は、盛会でしたか。
 
 前回の投書で、自殺者に対する記述がちょっと気になったので、別の立場から書かせていただきます。あなたの意見は、ごく常識的なもので、自殺しない人の、至極当然な意見だとは思いますが・・。
 
 私は、娘が十九歳の時に自殺未遂をして、不安神経症という病名をいただき、彼女の晩年、一年半あまりを親として一緒に苦しみ抜きました。いじめの自殺とは違う、禅問答的な世界であっただけに、自殺予備軍のさまざまな心境が、逆によくわかるのですが、多くの自殺者は、ほかに手段があるのに逃げたり、生きられるのに死んでいくのではないように思います。
 
 心の病に無知な人たちはそう見ますが、私は、死んでいく子は、そのような弱い精神の持ち主ではないと思います。逆に、健康な人に、死にたくて死ねますか、と問いたいです。
 
 生きていられる程度の人が考えることは、当事者ですから考え抜いています。人よりも深く考えすぎるのが特徴と言えるかもしれません。以前、他の方の発言に抗弁したように、決して死にたくて死んでいくのではありません。苦しみに苦しんで、苦しんで、苦しんで、殺されていくのが、自死だと思います。
 
 自殺を美化して、後続者をを出さない気配りからか、自殺者を弱いとか、愚かだとか、自分勝手だとか、死にたくて死んでいったと論評する風潮がありますが、自死は、生きられる人が論評できるようなそんな生ぬるい世界ではありません。美化する必要などさらさらないけれど、現実を現実として理解していかないと、この分野の医学も心理学も、お茶を濁しているだけで、進歩しないと思いますから、カウンセラー的活動を展開されている若いあなたには、視野を広げていただきたく一言、進言します。                      
                            飯田 啓子