Sさんの言っていたのと同じように私も中学時代に人生を狂わされました。
ただし、殴る蹴るの暴行を受けたのは小学校の頃ですので加害者側の体力を考えるとSさんや友樹君よりはましだったかな、と思います。
最低な公立小学校を抜け出すために私が取ったのは「転校」とはちょっと違った「私立中学受験」でした。
ところが…その望みをかけた中学て散々な目に遭ったのですから…あまり効果がなかったな…と思いました。
今思えば単なる冗談のデマを流されただけなんですが、一年生の…入学式の日からシカトされたのはきつかった。
それで選択性失語症に近い状態まで落ちていって、さらに授業中のいやがらせで成績まで急降下。
今は閉鎖的な学校の外に飛び出して伸び伸びとする時間を持てていますが、学校の…同学年だけの世界になると恐怖を感じずにはいられません。小人数教育の裏目だな…と思いました。
少年法改正についてですが、何度言ったと思いますが、「法律」じゃなく、人間の「考え方」「道徳」…「教育」を変える方が有効だと思います。
法律やルールは破る為にあるみたいに言う人もいるし、法律が適用されるのは「事件発生後」なんですから。
殺されてしまってから犯人にどんな刑が下ったって、被害者は知ることもできないし被害者の人生が返って来るわけでもないんですから。
少なくとも私は自分や周りの人間が殺された後で犯人にどんな刑が下ったって許す事はできません。
いじめを強要されたって人が時々いるけれど、そういう人に対してはこう思います。
まず、強要されている時点でそれはいじめを受けているっていうことですよね?
だからその点では被害者だと認め、そういう立場からの脱却を手伝います。
でもね、それで誰かを死に至らしめたらその人は殺人犯なんです。
どんな事情があっても。
だから、まず被害者に対する陳謝と刑を勤める。それから自分に強要をした人を訴える。
くらいしてほしいものですね。ただのいい訳なのでなければ。
それから、いじめ自殺ですが、これって…一番嫌ですね。
何が嫌かって、その被害者を追い詰める加害者のサディスティックな感覚が気持ち悪い。
また、自殺する側のこともあまり感心できない。
「自殺というのは自分という人間を殺す、殺人の一つの形」なんですから。
人を殺して人生を終わりたいと思いますか?
それも自己完結…。
どうせやるなら加害者を…ってのも犯罪だからしてはならないことではあるけれども、
「自分の存在を消して事態を収拾しよう」なんて考え、
生きて苦しみを味わい続けた人間や死ぬきが無くて殺されてしまった人から見たら「他に手段があるのに逃げた」「生きられるのに死んだ」って映っても仕方ないと思うんです。
葛藤を抱えた人間や加虐趣味の人間は五万といて、時にはそういう人間とも向きあわなきゃならないのに…。
弱い者イジメや弱いもの殺し、イジメを苦に自殺って…結局は若い尊い命を無駄に捨ててるだけじゃないですか。
命って一つしかないんですよ?
今を駄目にされても生きている私達には未来がある。
百歳くらいまでは意志さえあれば挽回できるんです。
生きましょうよ…。
何か妙な宗教か政党みたいになっちゃったからこのへんで結びます。長くなってごめんなさい。
鱸 一浪