大阪の小学校で起きた事件で、TVや新聞を見ていますと、学校の警備を厳重にするとか、精神病患者の刑罰の見直しなどが論議されています。それもやってもらったらいいと思いますが、もっと刑罰そのものを重くできないのでしょうか。

犯人は、「死刑になりたかった」「刑務所に入れば上げ膳据え膳」とか発言していたらしいじゃないですか。
望みどおり死刑にするのも生ぬるい感じがします。刑務所でも温かいご飯が出るらしいですが、年数だけじゃなく、極悪犯は、もっと劣悪な環境に置いてこらしめてやりたいです。
たとえば、被害者の遺族から石つぶての刑にするのは、どうでしょう。(重い罰といっても具体的には、浮かびませんが検討していただきたいです)私の考えは過激でしょうか。近代国家で、許されないことでしょうか。もちろん、冤罪を生み出さないように慎重に裁判して、殺人でも加害者に情状酌量のケースもあるかもしれません。

一般の人が「犯人を殺してやりたい」というのは、怒りの表現の最上級を使っているのです。
被害者の中には、愛する人を失って、とてつもない喪失感と無気力感にとらわれて、どうせ死刑にしたって、愛する人は戻らないという考えになる人もいるでしょう。
けれど、これ以上、悲劇を繰り返さないために、見せしめとしての罰が必要だと思います。
「自殺しようとしてもできないから死刑にしてくれ」とか「人でも刺して刑務所に入りたい」などの理由で、自暴自棄になって起こす殺人は、刑罰を痛いもの、かっこわるいものにすることで、少しでも防ぐことは、できないのだろうかと考えるのです。他人の痛みに鈍感な馬鹿でも、自分だけは痛い思いをしたくないという計算が働くと思うのですが。

それから大人も少年も刑罰を重くするのと同時に、社会からドロップアウトした人たちも、とりあえず働ける作業所を作ってほしいと思います。
本当に一番、気の毒なのは、子供さんを失った親です。異様な体験をした子供達もPTSDになったり、心配でしょうけど、なんといっても命は助かったのですから。
子供を失うことは、誰でも悲しいと思うけど、人によって、子供がすべて、べったり依存している人と、仕事を持っていたり、友人も多い人とでは、表面的に多少、差があるかもしれません。私だったら、きっと子供が生きがいで、哀しみと、怒りでめちゃくちゃになります。
加害者の人が、後でいくら反省、後悔したっておそいのです。
加害者の人権とか考えている間は、犯罪がなくならない気がします。

ゴエモン