友樹君の死に寄せられる多くの方のさまざまな思い、引き続き読ませていただいています。犯罪の残酷さに寄せる思いは同じでも、少年犯への対応については、立場立場で、違いを認めざるを得ない問題のように感じています。実人生での経験が根底にあるだけに、意見が違うからと言って、容易に妥協できる種類の問題ではないと思います。しかし、意見が多様なほど、掲示板の意義は大きく、堂々巡りしながらも、考えさせられています。
 
 少年法の改正について、と言うだけで、暗黙の了解があるようで、弁護士をはじめ、少年司法の実務にかかわる人々、教育現場、福祉現場等の、少年たちと向き合う職業の多くの人々が消極的です。出版関係も、私が身を置く周辺は、個々の少年犯罪の残虐さを知識として当然、知りながら、憲法13条、26条を遵守する保護主義の立場から、少年法厳罰化には賛成しない人が多いです。
 凶悪犯の少年達の犯罪心理の問題は、病んだ精神の問題であって、厳罰化は根本的な問題解決にはならないというのが、子供達と直接関わる者大勢の見方です。
  厳罰を科して、社会から隔離することによって、教育や社会復帰が困難になり、真の更生には繋がらないばかりか、再犯を犯す者が増えるという危惧を持つ人達も多いようです。
 
 刑事罰の対象年齢が10歳以上となっているイングランドでは、未成年の収監は、再犯を防ぐための効果的な方法にはなっていないので、刑事罰の対象年齢を引き上げるべきだという論議が巻き起こっていることを、実践国の具体例として例示されている弁護士さんもいらっしゃいます。
 
 凶悪犯を同じ目にあわせて殺してしまえばよい、という意見も、感情論としては通っても、法治国家として進化すべき社会の論理・倫理として、民衆の総意がそうはならない、と多くの人が分かっています。そのようなことを、被害者でない第三者が言えば言うほど無責任で、虚しく響くばかりだと感じます。
 
 一方、親が悪い、という意見には、もっともな面もあると思いますが、社会が複雑化する中で、子育ての多くの部分が、すでに社会化され、環境に大きく支配されています。日本社会は、この部分の社会化が制度として立ち遅れてはいますが、それでも、もはや親だけの力では防御しきれない大きな環境の感化を受けながら、子供達は育ち生活しています。
 
 私達、人様のお子様ばかりの育児に関わっているものには、子供達の成育について、親だけに責任を問うことはできません。子供達の起こす事件は、親だけではなく、子供を取り巻く大人すべての責任と考えます。育児と教育は、親だけではなく、大人社会が連帯して背負わなければならない問題です。
 
 犯罪者を出さない社会を築くためには、親がない子も、親が至らない子も、社会の子として健全に育てられる社会制度を確立することが大切です。親だけに子育ての責任を問う社会の風潮からは、犯罪者を根絶することは不可能だと思います。
  
 一方、視点を翻して、犯罪被害者の人権の問題については、法的には難しい問題もあるようですが、ほとんど誰もが被害者の立場で考えようとしていると思います。刑事司法上の被害者の権利について、飯島さんの訴えられているような要求を充たす制度が一日も早くできますようにと思います。
 
 「犯罪被害者の会」(あすの会)の代表幹事、岡本勲弁護士が提唱されているヨーロッパ諸国のような「附帯私訴」(被害者が希望すれば、検察側に座ることができ、加害者に質問することもできる。賠償請求もできる)の制度を導入することに私も賛同します。そこで少年犯罪について現行の少年法が障るなら、その見直しが必要だとも考えます。
  また、被害当事者の心や体の回復のための公的制度の拡充、なかでも「犯罪被害者等給付金」を加害者に支払われる国費と対等な配慮で拡充してほしいという訴え、さらには、各自治体の中に、犯罪被害者を救済し守れるような部署を作っていこうという訴えなど、早急に実現可能なことばかりのように考えられます。各地域でこの運動の火がともされ、実践に移されますよう祈ります。地域地域での実践活動の情報がほしいと思います。
 
                               飯田 啓子