国家社会を論ずる前に血の通った人間としての感情が
有るはずです。 自分が傷つけられたら痛いというとおり
他者のことであっても想像力が働くはずです。そして
それが社会性の第一歩だと前の意見の方が仰有る
のは的をついています。


法律は国家社会のためにあるのではなく個人の尊厳
を守るためにあるのであり、そのための社会秩序が
要請されるのであって、まず第一に公益ありきという
君(ほんとに17歳ですか?)の論理は方向が違って
いると思います・