私憤を晴らす為に、法律や社会機構を変えることなど出来ません。
 個人としての感情や恨みを主張することを是認するならば、加害者にも同じ物があります。加害者の生育環境を調べれば、加害者が犯行にいたったことの必然性が、明らかになると思います。
 私の息子と言う個人の利益を主張し乍、加害者の利益を否定することなど出来ません。
 少年犯罪の厳罰化に反対する意見は、個人主義、自由主義立場の者で、厳罰化に賛成する意見は、公益を尊重する立場の者であるように、個人に立脚する主張と公益に立脚する主張が相容れないものであることは自明です。法律や社会機構は、公益の為にあるのであって、個人の為にあるのではないのです。
 加害者も又かわいそうな人間で、犯行にはそれなりの理由があると言うような意見は、全体の利益の軽視から生まれるのであって、国家社会を飽くまで守るという意志が無くなっては、犯罪は単に失敗でしかなく、極端というか正確にいえば「君が人を傷つけたら、君も傷つけられるよ」「そうか、傷つけるのは楽しいけれど、自分も傷つけられたらつまらないべー」というような反省しか促せないのです。
 加害者と被害者と言う立場ではなく、社会と反社会と言う立場で無ければ、犯罪者を糾弾する正当性などありません。
 愛国心教育を学校に。 右翼活動家 十七歳