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私は24歳の女性です。19歳の時に医療ミスで父を亡くしました。
死ぬ少し前まで元気だった姿、そして瀕死の父の姿、裕福な家庭で育った少女の私には、人生最大の悪夢でした。
逝ってしまった父は2度と帰らない、現実を受け入れる余裕が無いまま葬儀も含め「死者となった父」の時間はどんどん過ぎていく・・・

少し前向きに考えられる頃になったときに浴びせられる、無神経な「お悔やみの言葉」の数々・・・
経験無き者たちの語る言葉は、反って当事者を傷つける・・・
(私もその一人になってしまうようで、本当は意見を控えるつもりでした。しかし、どうしても貴方や家族、そしてゆうき君を放ってHPから去る事ができませんでした。ごめんなさいね。)

憎いという気持ち、振り返ってみれば救えるチャンスはいくつかあったと思う自責の念。苦しいですよね。寂しいですよね。
私はあなたでもユウキ君でもないから、同じ気持ちではないけれど、5年経った今は気持ちは落ち着き、色々新しい事をはじめたり、TVや映画をみて素直に面白い時には笑えるようになりました。
当時は呆然とした合間に、悔しさと自責の念に駈られましたがきっとその苦しみは分かった頂けるでしょう。

父を亡くして2ヶ月後、付き合ってた彼氏に私は振られました。
父の看病と死後の数ヶ月間家の事でに追われ、全く会う時間が無かった事に腹を立てられて・・・

そしてそんなWショックの私に、あるクラブの先輩が慰めながら私に近づいてきました。ある日油断した私が下宿先に入れたのが間違えでした。
なんと私は彼にレイプされてしまったのです。
そして彼はそれっきり私に冷たくなり(当たり前だが)避けました・・・
つまり弱みに付け込み、わたしを欲望のはけ口にしたのです。

一体何が苦しいのか、この苦しみの原因は父なのか、私を振った彼なのか、レイプの男か????訳が分からなくて毎日泣いていました。
でも、不思議と苦しい時父がいつも夢に出てくるんです。
夢を見ているときの私には知らない事を次々に言って聞かせ、時には注意もしてくれます。そんな夢を見た後には、不思議と父が言ってくれたことが現実に本当に起こったりします。
もともと霊感(?)←誤解呼びそう・・は強い方でしたが・・・

私はカルト集団でも宗教団体所属者でもないし、主旨に外れるからこれ以上の事はあえて言いませんが、5年経った今、私は心から思います。(以下、あくまでも今の私が心から思う事。)死んでも愛する人って居ますよ。
そして、神様もいますよ。
「何処に居るのよ?神なんて!神なんて居ないわ、居るならあの人を返して!!!!!」て思うけど、

神様は万人平等な判決を下すものじゃない、神様は人間が認知し感じる基準を遥かに超えていて、時には人にとって残酷の極みに思える事も平気(?)で与えてしまう。
でも、それも必然的に道となり、その遥か先にある一つの共通の真理を我々は追及するために存在しているのではないかと。

そして、生きている間に、同じ生きているものを心のそこから愛してみよう。
愛とは自分の利益を求めない、愛は嫉妬しない、愛は時として自分の犠牲を侵しても相手の立場に立って上げられる、そういうもの。そういう柔らかいクッションのような気持ち。
万人にそんな気持ちを持つことはきっと凡人には無理ですが娘さんや、ご主人誰かいますよね、そう言う人が身近に。
私は赤の他人だけど、この苦しみを味わったあとしばらくかかったけどそういうクッションが心の中に生まれ、育って増えてきているのを感じます。

と同じに梅雨の時期にあじさいが咲く様に、あじさいの散った後にはやがて夏が来て、夏の後には寒い季節がくるように、自然に生きていこうって思えるようになりました。
苦しくて泣きたい時は思いっきり泣けば良い、会いたい時は写真にむかって「会いたいよ〜!」て泣きながら叫んでも良い。
嬉しい事があった時は大声で笑おう。
結果は同じですよ、死んだ人間は返らない。でも、その後どう「愛」を心に育てながら生きていくかが課題だと思うんです。

傲慢な意見ですかね、こんな小娘が「愛だ。」「神だ。」って人の本当の気持ちも知らないで・・・
このHPにたまたま辿りつき、もう2時間以上経ちました。
縁があったんですね。
傲慢娘は、でも思います。
私達の生きてるこの世界って本当に奥が深く、愛って本当はいつも存在してるんです。
それを感じられるか、非情な事態に埋もれて感じる力を放棄するかで幸、不幸の道が分かれるんじゃないかって。

一度三輪明弘さんの本読んで下さい。勇気でますよ。
私は彼の本で本当に救われた。(「人生ノート」パルコ出版 お薦め)長々とすいませんでした。全く力になれなくて逆に傷つけてはいないかと本当に心配です。
では、あなたとそして、ゆうき君と縁があった事を光栄に思います。
かしこ