たんたんさん
同じハンドルネームの方が、BBSで何度か投書されていますので、次から、後ろに何か違いを表す印でもつけられてはどうでしょうか。
御意見、とても纏めにくい思いを分かりやすく書かれていて、考えさせられる内容でした。ここでは、善人と悪人とがしっかり仕分けされて、善人の立場から悪人を裁く立場の意見が多いのですが、だれしも人間は心の深層に両極を持つものであろうと思います。そこを無視した論議は、幼いのだと思います。
主観を追究しようと思えば、他者の立場に立ち、他者の立場を究められるようでないと、主観を究めることもできないと、私は思っています。その意味で、実人生での実践の幅が広がることは他者を理解する上でも、自分を知る上でも、正しい論理に近づくためにも財産だと考えます。
堕胎を考えたときの罪悪感と、それを実行したときの罪悪感、
実行を思いとどまって愛児を得たときの、過去の自分の思いへの罪悪感、そしてまた、その愛児を失ったときに過去を振り返って感ずる堕胎を考えた自分への罪悪感は、どの一つも同じではなく、経験しなければ、そして、その人その人のその時でなければ分からない、重く深い罪の認識であると思います。
それにしても、人間が、授かった命を産んで育てる、たったそれだけの善人であり続けるためにも、なんと親にとっても生きにくい時代でしょうか。そのことが、命を冒涜する人間の愚かさの免罪符になっているようにも思います。子供達の立場と重ねて、あなたの御意見からたくさんのことを考えさせられました。
飯田 啓子