WESさんへ
 
 他の方からご指摘をいただいて、あなたの「皆様へ」というご意見をもう一度拝見し、私あての部分に返信が必要なのかどうか確かめてみました。私は、あなたのご意見をその部分で追及する必要を感じなかったのですが・・。誤解なさる読者のために補足させていただきます。
 
 私自身は、この上、返信をしても、同じ繰り返しですし、言うべきことは前の「WESさんへの意見」で伝えたので、私に構わず、あなたの論をお進めください、というつもりでした。
 
 あなたに私が尋ねていることは、あなたのおっしゃるような嫌な人々も含めて、なぜ神の代わりにできるのか、ということです。上があなたの説明のような概念であるならば、私自身は、具体的な「民衆」を自分の上に置きたくありません。前に述べたように、「民衆の総意」なら法的には受け入れざるをえないでしょう。
 
 横に民衆を置けるか、というお話ですが、横ならば対等ですから、当然置けるでしょう。置けるというより、選ぶことなく、当然そうあるべきだと思います。セクハラオヤジであれ、殺人経験者であれ、私に拒むことはできないと思います。このことはBBSで、あなたの同じような質問でお答えしていると思います。やまぐちやむこさんが、私の代わりに先に答えてくださっていました。人を読む直感力の鋭い人だと思いました。
  
 法的規制の問題は、犯罪被害者の立場を重視して検討されるべきであることは、言うまでもないと思います。
 
 ただ、子供達の教育の問題としては、私の立場は、何度も言いますように、規制がなくても考える子供達を育てることです。校則反対、制服反対です。茶髪・ピアス格好いいとは思わないけれどしてみたいなら、させればいいと思います。
 
 大切なことは、大人一人一人が絶望しないで、心の環境を整え続けることだと思います。戦後55年と言いますが、輸入ものの民主教育の試行期間としては、たった55年です。教育の計は100年かかります。
 嘴の黄色い者が批評家になるのではなく、自分の足許の、できることから実践することだと思っています。健康な大人達一人一人が身近な子供達一人のメンタルフレンドになれれば、少年犯罪の相当部分が抑止できると思います。
 
  少年ばかりではありません。私のところは、二十代、三十代の男性も、困りごとがあると、真夜中でも訪ねてきて、職業のこと、人間関係のこと、家族関係のこと、病気のこと、障害のことなどを話し込んでいきます。不況とのっぴきならない環境で、心の支えを求めています。横に誰がくるか、真夜中に誰が来るかなんて、気にしていられません。あなたのおっしゃるセクハラオヤジも私の横では人が変わるでしょう。学校で荒れている子供達も、私の前ではきわめて素直です。私が立派だからではなく、対抗しないからです。
 
 横は、私にとって連体の横です。人など選べません。 
 答えになっているかどうか分かりませんが・・。
                             飯田 啓子