飯田さん、心の中に意識がないものを理解するのは難しいですね。自分の上の存在
とは、例えば、キリストやイスラムの神様とか、例として問題かもしれませんです
けど共産主義の場合はその原理とカリスマ指導者とかで、自分の横にあるものとは
違うということはイメージとしてご理解できませんか。私は、飯田さんが横といっ
てしまった瞬間に、横に入るものと入らないものという区別がでてしまうような気
がするのです。つまり、自分で勝手に選べる、と。つまり私は世の中金がすべてで
すといっても許されると。だれにも止められないと。飯田さんが、御自分の横にセ
クハラ権力オヤジがいて、彼の価値観が変わらずともそのまま横にいる(この場合当
然物理的な意味での横ではありません。飯田さんがおっしゃる横という概念でで
す)と意識できるならば、シャッポを脱ぎますが。
駐在員さんやnyan2さんの主張されていることとは、私の主張はほとんど相違
がないと思っています(BBSから繰り返して主張してました)。私の主張は、そう
いう厳罰化や法制強化を具体的にすすめる上で、その環境に暮らすことに、反対・
損をする・圧迫される・不自由・窮屈と感じるものへの了解の手段として、自分の
上位の存在の必要性を上げています。今の不公平偏り人権主義者(人権が悪いので
はなく、人権擁護の対象への偏り、つまり差別が悪いのだと理解してるが)の主眼
は、個人の自由権利が最も大切で優先されるという思想がもとになってますが、こ
れを否定するのは、その大雪とおっしゃる個人の上に存在するのものが必要と思う
のです。それは義務と責任、これは前にも言いましたが、自己の上に存在するもの
がないと成立しにくい概念です。アメリカ人は神とか共和制による民衆への義務感
みたいなものが、強く感じられます。アジアにも良く行きますが、何か、自分以外
に自分を動かす存在感があるように感じます。日本人からは殆ど感じません。
私は、厳罰化は、その罰の程度との関係もあるでしょうが、犯罪の減少という観点
よりも、その犯した罪に見合った罰としては低すぎると感じており、そのアンバラ
ンスを是正する為に必要と考えてます。時計の振り子のように、もし厳罰化がなさ
れ、逆にそれが行き過ぎると感じられる時代がきたら、逆向きへ戻す時代もあるの
かと。むしろ犯罪を減らすには、まず犯罪の元になりそうな環境の規制強化の方が
確実かと。暴走族を無くすには、違反者を逮捕しまくって、その為の警官をガンガ
ン増やして、とにかくその行為を見つけたら即ツブすべきかと。逆らうやつには発
砲も許しますかね。ゴア大統領候補は、選挙には負けましたが、TVゲームの格闘
モノのソフトを規制すると公約していました。志田さんは法制強化まですべきとお
考えなのかわかりませんが、今の世の中を見る限り、ご指摘されておられるよう
に、人々の心と行動に対する理想と現実のギャップは大きく、またそれが是正の方
向には見えないのは残念な事態です。
WES