飯田さん、WESさん
このBBSでは意見、飯島さんへの同情と少年犯罪を憎む気持ちでの一致点
を皆さんが持ちながら、その中でも意見の真向からの対立があります。
特に、加害者に対する考え方、少年法に対する考え方の違いは議論ではなく怒鳴り合い。
これが、顔を突き合わせた会話となると殴り合うのでしょうか。殺し会うのでしょうか。
その中で、飯田さん、WESさんの会話、私との温度差は少ない方です。
何故ならば、ポルノが問題となり、それが法規制となり、民衆論となり。
些細なことがそのように大きく展開されるのはデビエートの趣旨です。
些細な事柄が、一般化されながら、その影響を多角的に評価していくことが大切です。
私はピカソの絵がわかりません。しかし、それが平和の絵であると納得させられます。
それがグロテスクポルノとの違いがわかりません。
絵心を知らない私が批評とする、ピカソをそれを認めるが、批評家は的外れというでしょう。
ピカソは平和の実践の人です。私はそれを信じ、絵を見ようとします。
私は暴力映像を否定します。誰かがなぜ、ゲームや大人を否定するのかの質問がありました。
私はゲームのように抽象化された暴力は否定できません。そのこころはピカソと同じ、
平和に通じるところを持つからです。
子供に対する躾や規制も是是非非ですが、それはそれぞれの親が教科書ではなく、
自らのアイデンティティで子供を育てることを許されていると思うからです。
教科書どおりに子供を育てて、教科書の性にする親も増えていますが、それは不幸に感じます。
自転車泥棒やこそぼろや暴力が悪のではなく、それを2度3度繰り返し、
それを己の生活習慣とすることに問題があるのです。
長屋で、子供が両親の醜態をみるのは自然でしょうし、それでも多くの子供は育ちます。
学校でポルノの回し読み、いじめ行為、これらが週間化し、蔓延することが怖さです。
なぜ、習慣化するのでしょうか。
それはこれらを生業とする職業がおり、大人が、親がいるからです。
親・大人の犯罪はもっともっと徹底して重罪、かつスピードを持つべきです。
オーム浅原は何十年も生き続けることができるでしょう。
埼玉保険金殺人の八木の審議は早まりますがそれでも、10年近くはかかるでしょう。
罪を犯して、悔い改めれば、すぐ死刑になりますが、悔い改めずに居直れば、もちろん、
嘘を言い張れば、刑は短くなたっり、死刑を引きのばすことができます。
正直を理想としながらも、嘘がまかり通る世界です。
現在でも、弁護士、裁判官、警察官が足りない。これ以上の犯罪が増えると
日本の国はどうなるのでしょう。少年犯罪は大人の犯罪よりも相当難しく厄介だ。
実は私たちは、ゆうき君の死を悼みながらも、それを2度を起こさないという誓いを
立てれないのではないでしょうか。すくなくとも何も見えてこない。
これだけ、一致した意見を持つBBS上で、些細な事柄ですら、違ったことがらとして
みていく姿勢に問題が残っているように思えます。
あくまでもゆうき君の死、飯島さんの悲しみは私の始まりです。
しかし、2度とそれは起こさせないという結果と、そのためには、真実を見極めるという
プロセスとは、ここでの中心議題です。
志田糺