先日の読売新聞の投書欄に、私がずっと待っていた内容の投書がありました。コン
ビニをやっておられる奥さんからです。自分のお店で小学生のポルノ雑誌の立ち読
みが多いので、お店の売上ダウンにはなるけれども、大人の雑誌を置くコーナーを
レジの脇に持ってきた、という話しです。コンビニは、真の憩いの場でありたい、
というような表現の言葉で結ばれていました。すばらしい意見と思いました。

この奥さんは、(管理)責任を民衆に対してとっておりますね。この奥さんの主張
に、反対する根拠を持ちうる人は少ないでしょう。例えば、同業の方が、そうは
言っても店の売上は死活問題なんだ、と言ったとして、そこまでは理解できます
が、それを子供がポルノを見ることは、その子供が悪いことだから仕方がない、そ
れより自分の死活問題が優先する、といって、民衆を納得させることができるで
しょうか?ここでいう民衆とは概念的なんですが日本に住む人すべてです。昔の表
現を使うと、世間とか人様です。

アメリカでは上の奥さんが自発的にやられていることを徹底するために法制化し
て、ポルノ雑誌は中が見えないようにビニールに包み、小さい子供の手が届かない
一番上の棚に置くようになっています。当然、子供に売ることは禁じられていま
す。(JALかANAの機内にヘアヌードの載った週刊誌があって、誰にでも目が触れる
のがアメリカで問題になり、それから国際線の機内雑誌はヌードが少ないものに
なってます。週刊ポストは見ません)。もちろんアメリカでもメディアでのポルノ
規制は数十年前に喧喧諤諤の議論があって方向付けられたもので、当時マスコミは
こぞって表現の自由(本音は売上への影響も)から反対しましたが。

私が、アメリカで住んでいて感じることは、色んな言い分があるけど、自由と権利
を守るために、住まわせてもらうために、私の国のために、民衆に説明できないこ
とは、その意思や欲望はあっても当然我慢しよう・仕方がないと、考えている人
が、日本よりずっと多いということ。つまり、自分を超越するものに従う義務を果
たした上での自由という事です。逆に、意思を通すためには徹底して説明し了解を
求めますが。(家で煙草を自由に吸う権利を守るため、レストランは全面禁煙でも
仕方がない。あるいは、自分が人から危害を加えられない権利を守るため、自分は
人に危害を加える可能性のある行為=喫煙を人前ではしない。)

日本ではこういう事は、義務というより、各人の善意というか、自由意思である
と、まず考えてしまう、いうこと。上の投書の奥さんの主張は善意であり、読んだ
方は義務と感じることではなく、こう考えるか考えないかは、本人の意志でけっこ
う許されてしまうこと。そう考えなくても、仕方がないと許してしまうこと。当
然、考え方を強要などされないこと。

電車の中で、携帯電話をOFFにして使わないのは、JRのアナウンスが各人の自発的な
規制なら許せる・当然と思う人でも、JRの規則や国の法律で強制的に使用禁止に
なったら反対・嫌だと思う人が多いですよね。事故とか急病とか緊急時は例外認め
ても強制は抵抗あるのでは。アメリカでは、自発的なら許せることは、法律で周知
徹底しないと、おかしいでしょうって、なりますよ。きっと。

逆に、アメリカでは、自分が納得しない・できないことでも、決ったことは、それ
を自分がやることは不自然ではない・当然ということです。君の人格が負けたわけ
ではない、否決されただけですので、決ったことはやるのが当然で、恥じたり、負
けたり思うことはない。一見すると豹変して見えてもいいのです。

あんまりアメリカ・アメリカいうと、何かかぶれてるように思われますが、私が
会った他の国の外国人と比較しても、今の日本人からは、自分以外の絶対的な存在
とか信じるもの・頼れるものの存在を、本当に感じません。逆に全部自分で負って
るように見えます。だから、疲れて見えるのでしょうか。外人には上手く言えない
けれども何か自分以外の絶対的なものの存在を感じるのです。その為には、我慢と
か、努力とか、闘うとか、なにかに”動かされている”のを肯定しているように感じ
ます。特に最近強くそう感じて見えるのですよ。毎年毎年。日本へはたまに行くか
ら・会うから・触れるからなおさらなのでしょうか。

この日本人とのギャップは、日本人個人個人が悪いとか問題なのでは当然なくて、
戦後日本で、自由を勧め、自分の意思を尊重してきた思想・価値観が、バブル後と
くに時代にそぐわなくなってきたから、と思います。むしろ、義務として行う方が
気が楽ではありませんか(私は多分そうです。何かつらい事も疲れることも、ある
種割り切れます)。個人の意思にまかせるのは、こういう不確実で複雑な時代に
は、考え方によっては、はるかに酷でストレスが溜まるかもしれません。例えば、
上のコンビニの奥さんは、相当な犠牲を覚悟で、自発的に意思を決めねばなりませ
んが、法律化されれば、善意を行う事によって生じる不利益(売上の減少)が自分
の店だけではなくなるので、不利益が緩和されます。このような意見を元に、それ
を法制化すれば、潜在的に彼女と同じようなことを考えていても踏み切れない方々
をバックアップできると思います。

最近、日本では小さい子供が車や家に放置されたまま事故に遭う記事をよく見ます
が、アメリカのように、家や車の中に子供だけを放置することは違法(児童虐待に
あたる)と決めて、知らしめてあげた方が、はるかに親切と思うのです。私の知り
合いでアメリカに住む女性(日本人)は、短時間子供を車内に残したままドラッグ
ストアの前に駐車して買い物をして、巡回の警察に現行犯逮捕されました。彼女は
そんな法律があることを知らなかったので頭に来ながらも、警察に諭されて反省し
ていました。初犯ですから罰はなかったと思います。でも、彼女の子供が今後その
手の事故に遭う可能性は、これでほとんど無くなったといえますから、その子供に
とっては(多分彼女にも)よかったことなんです。コンビニも、そこが犯罪の芽に
なって困るのは、最後はコンビニのオーナーです。

私には、重罰が本当に犯罪を減らすかはわかりませんが、環境浄化を強化・強制す
ることは犯罪を減らすと確信します。ニューヨークから犯罪が減った最大の理由
は、犯人を重罰にしたからではなくて、悪い人が集まるような怪しい店や場所を強
制撤去あるは浄化して、100メートルおきに警官を配置したからなんです。極論を言
うと。酒酔い運転が見つかると無条件に車を没収なんです。規制される方(酒酔い
運転で車没収される可能性のある私や車に子供を放置して逮捕された知り合いの女
性)が、これに従うのは、自分を超越する存在への責任があるからです。私が規制
されないことの正当性を説明して民衆を納得させられないからです。

話しが犯罪からそれますが、バブル崩壊後パイの限られたなかで、何かを規制する
と・あるいは自由にすると、別の誰かに必ず弊害が出ます。つまり何かをやると必
ず損(経済面や趣味趣向だけじゃなく価値観からも)する人がでます。自己を超越
する存在がないと生きていくのはつらすぎるかもしれません。

最後に、飯田さん、あなたは御自分の経験を通じて、自分が信じて行動してきたこ
とは上手く行く方向へと動いているようだと婉曲的におっしゃているのでしょう
が、肝心の説明がほとんどないので、ああそうですかよかったですね、という以外
に反応ができません。自らおっしゃておられるように、自分が直接見たもの聞いた
ものが前提ならば、飯田さんの書くという行為は、読む相手から見れば、直接見た
ものでも聞いたものではないので、立場を反対にすれば自己(自分の説明している
行為)の否定にはなりませんか?自分の上に、人間愛、社会愛を据える?自分で据
えられるものではないから上にあるんですよ。民主主義では、それは、民衆、つま
りその”愛”を取り去った人間や社会そのものであり、犯罪者もセクハラ権力志向オ
ヤジもネットマナーのない人も含む、自分の好き嫌いや善悪では選別できないので
す。ましてや、対等に横になんか置けません。だったら自由参加になってしまいま
す。飯田さんが目指すのも信じるものが愛であり、それが金の人もいれば、暴力の
人もいる、そういう人一人一人が民衆なんです。そういわれる飯田さんの価値観・
考え方は戦後すぐの教育を受けた日本人の一般的特徴であり、私の論の例外ではあ
りません。私の論の表現が能天気・あるいはモーレツと極端に表現してしまいまし
たが、言いたいことの本質はここにあります。


WES