志田糺です。
加害少年達の陳述書を読んで。
久ぶりに時間があいて、加害少年達の陳述書を読みなおしました。
心の中にずしんと重いものを背負わされた感じです。
親御さんの憎しみさりながら、こうした少年達を作りだ出した親たち、地域社会
それを放置している学校、私たちはどうすれば、ここから這い出せるかを
真剣に考えなければならない。
それはあくまでも氷山の一角に過ぎない。
日本全土がこうした少年達を中心に動いているのでは思うときに、
大人の役割とは、親の役割とは、先生の役割とは。
そして、少年法や警察ではどうにもならない状況に至っていると思わざるを得ない。
勇気をもって、この真実を打ち明け下さっている飯島さんへの感謝と共に
この勇気を無駄にしないためにも、
我々が何を為すべきかを再度問いかけねばならないと思います。
子供たちに平気で暴力を教え込む大人達への抗議こそ大切です。
「売らんがための暴力シーン」を正当化する北野たけしを筆頭とする映像製作者達、
「加害少年達の背後で糸を引き、警察にまで手を伸ばしている」暴力団と右翼
「今や殺人ゲームでしかないプロレス、K1,ボクシングなど」を演出する猪木など
加害少年達が為したことはそのコピーです。
大人の犯罪がマスメディアによって、少年達に伝えられ、
それを阻止できないでいる大人達は、少年たちからは完全に無視されている。
加害少年達は未成年で、夜な夜なたむろし、酒場にまで足を運び、
ほとんどが親からの忠告も受けずに、存在できる。
この地域、この家庭、この学校というのはどんな人間が住んでいるところなのか。
これは、どこにでもある地域と思えるし、
われわれはそれを知らないでいる。知らされてもいない。
この事件を筆頭に、少年法改正に走った人々が、
再度、この事件の背景にある地域、学校、家庭の点検に戻って欲しい気がする。
この事件は、あす私の地域で起こっても不思議はないし、
いまでも、どこでも、知らないところで、起きている気がする。
このHPだけでも、この少年達の行動を把握し、
そうではあってはならない風土を作る場所でありたい。
酒屋にたむろする少年がいれば、その場で注意した報告でもよいが、
そうでないまでも、このHP上で、その事実を報告するのもよい。
自転車、バイクを盗まれた過去の話だけではなく、現在進行形で、
語り合うこと、それを否定していく場所が欲しい。
誰かが、公園で殴られているのならば、そのことを知らせる場所が欲しい。
もちろん、惨たらしい、映像を非難することでもよい。
少なくとも、飯島さんの悲劇は、飯島さんだけのものではなく、私たちの悲劇でもある。
そうした地域、日本を支えている私たちの悲劇である。
それは、極めて、日常的などこでも起こり得る悲劇である。
私の子供に限ってそうではないという思う親の悲劇である。
この悲劇を防ぐには、
この事件を契機とし、それを防ぐための環境を作るしかない。
難しい話も必要であるが、
簡単な話、「自分は友達を殴ったことがある」、しかし、「今後悔しているのか」
「後悔していないのか」などが聞きたい。
少なくともこのHPは飯島さんを勇気づける場所であるし、
飯島さんが少年の真実に迫れる場所でもある。
「ゆうきくん」に代わって、「少年達」と交わりたい場所でもある。
大人達が、少年達を受け入れて導く場所でもある。