最初に、このメールは本HPの主旨からみて、ぎりぎりのところにあると自分では判
断します。多くの方は、特定の相手だけを対象に私物化していると思われるかもし
れません。実際、私の最近のメールと飯田さんのメールをかなり詳細に読んで頂か
ないと、何を対象に話しているのか、わかりにくいと思います。それでも、そうで
はない他の方が見てもわかりやすいように、できるだけ工夫したつもりですが、と
もかく場をお借りするすることになりますので、御容赦お願い申し上げます。
今一度、私の主張を整理しました。
1.人は生きていく上で、責任・義務を果たす事が必要である。
2.自己の責任・義務は自己を超越するものがあって、はじめて成立する。
3.戦後日本で自己を超越する存在が曖昧なままここに至り、さまざまな問題が増
え続けている(特にバブル崩壊後)。
4.原点に戻って、民主主義の現代日本で、自己を超越する存在は、''民衆"以外に
みつけることが難しい。
5.民衆に責任をとるということは、民衆に向かって説明をして了解を得ることで
ある。
補足)ディベートの技術を向上させることは、よりそれが得やすくなる。
よって、HPでも(PTA総会でもデートでもなんでも)意見を言う事は責任を取る第一
歩となります。
飯田さんのおっしゃる、意見を強要される、とか、自分を束ねられる、ということ
は、立場を反対にすると、上の5番の行為に近くなります。先日もまた被害者に厳
しい意見(1384、1408など)が出され、それに対して沢山の反論が送られ
ましたが、この反論を強要あるいは(被害者よりに)束ねる行為と見るのかという
と、言葉のニュアンスが違うような気がします。強要とか束ねるという言葉にはマ
イナスのイメージがありますが、年齢や性別や役職や社会的立場の違い(強弱)を
根拠に説明をされて了解を求められると、強要とか束ねるという表現が似合いそう
です。が、そうでなければ、我々人間が常に必要とする行為、私が主張するところ
の責任を果たそうとする行為、なのではないでしょうか。むしろ、強弱をベースに
強要や束ねが存在していうことが問題で、その根っこには上記の1−5のプロセス
が日本ではうまく機能していないからでは、と思うのです。
言う方も受ける方も双方下手というのは、言い過ぎかもしれませんが、例えば、言
う方が一方的に押しつけたり、聞く方が強要ととりすぎて過剰に反応して、本質
(自分を説明する事)を見失いがちなため、あるいは本質が理解されていない(勝
てば・排除すれば良いと誤解)ということです。例えば、先の反論は”あなたは間
違っている”の一点張りの感があり、そんな相手は排除しようとしているとの印象も
ありました。相手に説明し理解を求めるというスタンスとしては、反論の仕方とし
て上手か疑問はあります。反論に反論したというか、肩入れしたような意見のため
に、徹底的に打たれたメルモさん(1401、1405)のような例があります。
ここで問題としたいのは、メルモさんの意見の内容ではなく、その扱われ方です
が。
ディベートについていえば、これは目的ではなく、このHPで意見を言う行為(=自
己責任を果たす行為)でより責任をうまく果たすには、有効な手段ですよ、という
ことです。ディベートは手法で、これは話し方教室でも書き方手法でもいいわけ
で、ここでディベートしましょうとかいうものではないのです。つまり人と会話す
る、人に向かって何かを書く日々日常がディベートなわけです。
ディベートは上手に聞いて上手に反応する事が重要ですが、違う意見を聞いて、そ
れを強要ととるのは、あまり上手な聞き方ではないかもしれない、と思うのです。
すべての反論に答える事が責任を果たす事でもないと思います。むしろ、それらの
反論をベースに自分の意見を"再度説明"すること、あるいは"修正"することだと思
うのです。相手に論拠を崩して勝つのが目的ではなくて、相手にわかってもらうの
が目的ですから。無論TPOも重要ですから、これ以上ものを言う・書く事は自己の責
任を果たすとは言えない、と判断されれば、止める事も大切と思います。先の被害
者に厳しい意見を排除する様な内容の意見に、志田さんは1441で疑問を投げか
けておられますが、内容はともかく手法として相手を排除するような言い方はあま
り上手ではない、責任を全うしにくい、という事ではないでしょうか。被害者側に
立つとか、両方の意見を聞くとかいうよりも、それ以前に、やはり1−5のプロセ
スの進め方が理解されていない・機能していないからでは、と思うのです。
経験と立場ですが、私が難色を示すのは経験や立場を根拠に説明説得することであ
り、経験や立場でわかったこと感じることを説明説得することはとても重要なのだ
と思います。これは一般論を言え、ということではなく、自分がわかったこと感じ
る事を、一旦自己の経験や立場から距離を持って、客観的に見詰め直した上で話さ
れた方が、聞く方にとってより説得力を持つのではないか、ということです。これ
はバランスの問題なのでしょうが、バランスが崩れて逆効果となる場合をよく見ま
す。これを表現の中で駆使するのは結構難しいのでしょうか。
説得力を持つ例として、前にこのHPに現職の警察の方が意見されていましたが、こ
の方は、警察に勤めるという環境の為によりよくわかる事情を背景に、御自分の意
見を話されていると思いました。この方が、警察の立場で応答されるのは、実際の
お仕事の最中の事と思います。しかし、このHPで話された事は、警察の立場になっ
たとき(業務中)に予想される対応と、それに対する御自分の意見と思います。こ
れは警察の”立場”での意見とは言えないのではないでしょうか。ただ、聞く側が警
察の立場でもの申していると受け取ってしまい、それでいざこざというか、思わぬ
展開になってしまったようです。
女性に対する意見については、私も意見がありますが、このHPにはふさわしくない
と思いますし、少なくとも、自分の心の問題や管理責任の意見では、念頭にはあり
ませんでした。飯田さんが、私には女性の立場が見えないのか、というような主旨
を言われていますが、私は女性を念頭に意見をしていませんので、見るも見ないも
ありません。もちろん、それについて私には自分の考えがありますが、繰り返しま
すが、ここにはふさわしくないと思います。ただ、自分の書いた内容を今一度読み
返してみましたが、女性をくくった主張にはなっていないと、むしろ逆と思うので
すが、表現力が足りないのかもしれません。"大黒柱"も主たる収入を得る人という
意味で性別は念頭にありませんでした。
私が書いた戦後の国民の精神というのでしょうか、何か、一億無責任サラリーマン
あるは逆にエコノミックアニマルみたいに表現してしまいましたが、一般論として
(男女区別無く)、私は大きく外れていないと思っています。飯田さんは、一部一
般論、といわれますが、どういう根拠・理由で一部といわれるのかわかりませんで
した。少なくとも飯田さん御自身とはずいぶん乖離があるようですが、これが飯田
さん御自身およびその回りの方々(の生き方)との比較なのか、国民全般でみても
乖離があると考えられておられるのか、よくわかりませんでした。ただ、飯田さん
の、こういう場で語る女性(男性)が少ないという御指摘は、はからずしも私の見
方による現実と近いものを感じます。
むしろ、飯田さんがおっしゃる、こういう場で語る女性(男性も)が少ないという
現実の指摘(つまりこれは多数を対象に話されていると推測されます)と、飯田さ
んおよびその回りの方が寝食忘れ闘い連帯してきたこと(が一般論なら)とが、意
見として一致させにくいと感じるのです。付け加えれば、’75メキシコ婦人会議は
飯田さんの回りの方はご存知かもしれませんが、一般にはあまり・ほとんど知られ
ていないだろう=こういう場で語る人が少ない、現実とです。(繰り返しますがこ
こで言いたい事は女性問題そのものではありません)。むしろ、こういう説明を聞
くにつけ、より飯田さん御自身が、そのお考え・自己の活動と現実との間にギャッ
プを感じておられるのではないか、と聞こえてしまうわけです。繰り返しますが、
私が論じているのはその現実の方です。
私がそこで言ってきたのは、一般多数と思われる国民精神の現実のレビューです
が、飯田さん御自身とその回りの方と国民全般をどうレビューされておられるのか
も、よく読み取れませんでした。いや感じ取る事ができませんでした。私の見方と
乖離があるということだけはわかりましたが。時代と闘う、地域と連帯、その価値
観・行動の是非は何を持って判断したのか、その親が死んだとき、子供は親の持つ
価値観をどうやって、何をよりどころに、選別して生きていくのか、黙って受け継
ぐのが本当に良いのか、私の持論、しゃべって受け継ぐべきではないか、いや、子
供に本当にそういう能力があるものなのか、あるいはそういう能力を身に付けさせ
るべきなのか(どうやって?)、それともやっぱり親が自己総括して選別内容を伝
えるべきなのか、これも個人的なことか、あるいは一般的な話しをおっしゃている
のか、よくわかりませんでした。
加えて、もしこれが一般論ではないとすると、つまり多数の国民が闘いや連帯を寝
食忘れてしてこなかった場合、そういう価値観を持っていなかった場合、そういう
親の子供はどうなってしまう(どうすべき)とお考えなのでしょうか。長々とした
説明ではなくとも、ポイントだけでもわかりやすくお教え願えないものでしょう
か?飯田さんは一言では言えないとおっしゃるかもしれませんが、私の論に一言で
乖離があるように言われ、その根拠の主たるポイントが見えないままでは、書いた
ものとして何か釈然としないものを感じますので。飯田さんは、飯田さんの生きて
きた時代の女性・母親の価値観があなた(私)には見えないのですか、といわれま
すが、女性・母親の価値観は別としても、本件についてはよく見えていないと思っ
て頂いても仕方がありません。
ここで私がしつこいのは、ここが一つのキモの部分と思うからです。重要なポイン
トと思うのです。親子関係と教育問題でです。戦後から今に至る上で。(誤解無い
ように言いますが、過去の先輩達の足跡をなじろうとかいう悪意のようなものは、
少なくとも今は、毛頭ありません。冷静に見て、現在将来にそれを生かしたいだけ
です。)
一般論としても、戦後から、何かに一所懸命だった人、適当にやってきた人、人そ
れぞれでしょうが、今の私が問題と思うのは、バブル崩壊後、日本が将来の予想さ
れる方向(多分に経済的に)が大きく変わり、色々なところで具体的に変化が始
まっているのに、多数の日本人の精神にその変化への対応の準備ができていない、
ということです。
私にとって"競争"というのは、まさに飯田さんのおっしゃる"自己"との闘いと思い
ます。他人を蹴落とすのではなく、自分の責任を果たすために、説明を続けるの
は、"闘い"という言葉が似合うかもしれません。でも、表現は人それぞれ、闘いで
も努力でもいいのですが、これは、日々、職場でも地域でも家庭でも。ただ、闘っ
たり努力したりする自己の上位に何が(何か)あるのでしょうか。それをどう具体
的に証明するのでしょうか。私は、それを(民衆に)説明する事からスタートする
と思っています。民衆というのは、このHPであり、職場でありPTAあり地域活動であ
り新聞投書であり友人であり家族であり、自分の回りすべてです。
アメリカから日本を束ねる事は難しいのでは、とおっしゃられていますが、何が、
どうして難しいのか、だから何なのか、そのご意見の主旨・意図がよく見えません
ので、これもどう言ってよいか困ってしまいます。私はプロの歴史家でもありませ
んし、実際で生身で生きていない時代のレビューは本当に難しいのですが、これ
は、励ましの言葉と受け取って頑張ります。
WES