WESさん
長いシリーズの論、ようやくどうやら読ませていただきました。私もあなたに一部問いかけた部分がありますので、何か応答しなければならないのですが、論をかみ合わせるのは非常に難しいと感じています。以下、主論に対する反論のつもりはありません。あなたの論述から一部はみだす部分の指摘にすぎません。
主題からは、ずれるかもしれませんが、まず、問題を自分で問いかけた、ここでの論議のありかたから疑問をはさみたいと思います。ここでは、背景も足場も分からない、顔のない人達が意見を出し合っています。あなたのおっしゃる説明することの責任は、顔と顔とを会わせて付き合う、人の立場を理解しようとする人達の対話の世界では当然ですが、ハンドルネームの人の要求に応じて、一方的な雨あられの問いかけにも、ずれた反論にも、見当はずれな中傷にも、いちいち答えて説明することは、自分の仕事を捨ててかからねばできません。
これまでここで私が突っかかってきたのは、論議の仕方です。ここはディベートの場である必要はないと思います。ディベートの教科書に非礼という言葉がないということは分かりますが、非礼の意味が少し違うように思います。ものを書くものとしての非礼は、ここでも外と同じように許されないと思います。対面の世界では考えられないような失礼な言動がまかり通っています。
去っていく人の去り方もさまざまですが、どちらもそこそこ下手、というあなたの判定は、ディベートをしているつもりのない人には、当てはまらないと思います。人格無視、立場無視の論外の攻撃をかけられれば、上手下手ではなく、一人で立ち向かう気力もなくなると思います。家族がいて、あるいは仕事や学校があって、管理人さんにも迷惑をかけて、礼の分からない人を説得してなどいられないと思います。
ここでは、多くの人が少年犯罪について広く深く考えたいために参加していると思います。飯島さんの事件から教わり、自分なりに考えること、自分なりに実践することを見つけていくしかないでしょう。だれも、参加したために、ここで人から意見を強要されたり、自分が束ねられることは本意ではないと思います。できることについて限りなく協力したい、と思うこととは別の意味でです。
経験とか立場を言うことに、あなたは難色を示されていますが、
経験から得た論理は、他者を支配するものではないけれど、当事者にとっては、理論ばかりでなく運命的なものや心のありようも含めて、動かしがたい価値観の基盤になると思います。犯罪被害者の場合も同じなのではないでしょうか。経験と立場を語ってもらわなければ、一般論や理論だけでは通じません。飯島さんのHPの価値もそこに立脚していると思います。
それから、日本人論についてのあなたの論は、一部一般論でもあるかもしれませんが、私の生きてきた時代の女性たちの精神史および現実のありようとは大きく隔たりがあります。私自身の生き方や価値観も、一貫してあなたの日本人観からははるかに遠いと思います。
あなたが「大黒柱」と表現される終身雇用制の中で勤続してきた日本の多くの男性達の価値観とは別に、一匹狼で生きられること、命を産むこと、育てること、権力や地位や自分自身の優位を求めないこと、といった私達の時代の女性・母親の価値観が、あなたには見えないでしょうか。
あえて私が「女性」というのは、日本の社会が未熟で、女性が一筋に道を選ぶには、条件整備されていないため、多くの女性が転身を重ねてきて、その価値観にいきついているためです。インターネットやマスコミ情報では浮かび上がってこない集合であるのかもしれません。ここでも、子供を育て上げた女性の発言は非常に少ないと思います。男性もそのようですが・・。
私の周辺は、そういう女性達がほとんどで、そういう女性達の生き方をサポートしてきた男性達も同じくらい多いと思います。そういう日本の女性の価値観は、たとえば存在表明が華やかだった’75メキシコ婦人会議で突然出現したわけではありません。戦後の、教育も物資も無の時代に、ある意味で、もっとも自由な育ち方をしてきた人達が成長した結果といえるのかもしれません。
私達は自分の上に何かを置いてきた世代ではないし、他者と競争した世代でもありません。振り返れば、たえず自分と時代との闘いの日々であり、志を同じにするものや地域の連帯に寝食を忘れる日々を過ごしてきているものです。
では、そういう世代が死に絶えたときには、どうかといえば、少なくとも親の価値観はよければそのまま、時代に合わないと思えば改善して、子供達が黙って受け継いでいます。表面に出ないそういう分子が無数に点在しているはずです。私の子供達もそうです。私よりは過激な生き方を選んでしまったけれど、親の信念、死者達の遺志を自らの意志と論理で引き受けて、情報発信していると思います。
アメリカから日本人を束ねるのは、難しいことかもしれません。同じように、生身で生きなかった時代を考察することも難しいことと思います。心の問題は広範で根深く、ここで論じきれない問題とは思いますが・・。
長くなりましたので、今日はこの辺で。
飯田 啓子