前回の私の投書に関して飯田さんから意見を頂きました。説明不足もあり、前回の
意見に補足したいと思います。
セクハラを例にとると少年犯罪とは質が違うと言われそうですが、いま少しお許し
ください。このセクハラ管理の法律で、実際罰せられるとすると、企業や組織に、
明確な”過失”があったという場合になります。
例えば、あなたの部下の女性から、Aさんからセクハラを受けて困ってる、という
不満を聞いたとします。あなたは、それを放ったまま何もしませんでした。別に止
めるように言ってくれ、と頼まれたわけではないし。忙しかったし。
さて、その女性はその後会社を訴えた。その中で、上司のあなたにも相談した、と
言います。ここで、まず会社や組織が問われるのは、あなたに対して、どういうセ
クハラ防止の教育指導をしていたか、です。あなたが、適切な教育を受けていて、
セクハラ相談室への報告をするということを知っていながら、しなかった場合、会
社・組織はあなたの報告違反に対しては管理責任を問われません。(会社とは別
に、今度はその女性があなた個人を直接訴えるかもしれませんが)。逆にあなたが
教育をうけておらず報告する必要があることを知らなかった、あるいはグレーです
が、教育方法が充分じゃない(回覧とか)場合は、会社・組織に過失があったとし
て、その責任を問われます。もし故意に会社・組織が報告の事実をにぎりつぶし
た、などと言う場合、きつい重罪となります。
そこで、会社は、セクハラ防止についての相当の勉強・研究と、相談システム作
り、それを定期的に従業員に教育する必要に迫られます。が、別に警備隊を巡回す
るわけではありません。適切な指導をして、相談システムも構築してあっても、被
害の女性もずっと我慢して誰にも言わず、加害者も巧妙に人前で気がつかれなかっ
た場合は、管理責任はほとんどありません。(もちろん被害者も、被害にあった
ら、すぐ相談しなければならないという教育も受けているのです)
もうひとつのポイントは、訴えにあった場合、会社、組織がみずから調査・報告・
立証しなければならない、つまりへたな”隠蔽”行為は自らの首をしめることにもな
るので、隠すことが難しくなります。当然、被害者が自ら苦労して証拠を集める必
要はありません。被害者はその証拠に対して不備を主張すれば、それを反証するの
は、企業、組織が自ら行わなければなりません。適切な対応のみならず、その対応
の記録、保管が適切でなければ、自らの潔白を証明できず、非常に不利となります。
いきなり少年犯罪になりますが、この場合、イジメや犯罪行為を見た、あるいは見
える立場にいて、且つ、止めるべき立場であったものが、それをおこたっていた場
合に、実際に事件が起こって被害者から訴えられた時に、それを”過失”として罰す
る、ということです。起きてしまった事件そのものに対して罰するのではありません。
学校についていえば、普段イジメや犯罪を止めようと指導していたか、ということ
ですが、指導は当然あるでしょうが、実際にイジメの被害にあってる子供に”どうす
ればいい””どこに相談すればいい”ということが適切な指導をされ、皆、ちゃんと理
解していたがポイントになります。仮に保健室や校長室が相談所でもいいのです
が、困ったときは保健室へ行こう、というのが生徒一同皆一致して理解されていた
かです。そして、保健の先生を充分な人数と時間とって、生徒のイジメの告白に対
して適切な処置をとる教育がされていたかです。そして一件一件の告白に対して、
どういう(適切な)指導や対処がされたかが、記録に残っているかです。
適切ではない対応=過失とは何でしょうか?例えば、保健室の先生が一人で相談を
受け持っていたとして、対応しきれない数の相談があり、その日は、あとでまた来
てね、と言ったとします。二度ときませんでした。ある日、相談を受けなかった子
供が自殺をして、その日記から相談を受けられなかった事実が判明します。この場
合、その先生が対応しきれない事自体は過失ではありません。が、その先生が自分
でかかえこんで、その窮状を訴えていなかった、とすると責任が発生します。しか
し、相談をうけるキャパが足りないときにどうするか、ということを、その先生が
適切に教育されていなかったとすると、その先生の責任は下がり(無く)、教育を
すべき立場にあった方の過失となります。さてその先生が適切な教育を受けること
管理する立場の方を仮に校長としましょう。この場合、校長が相談対応マニュアル
をつくるも、難しくてかなわず、教育委員会に地域共通マニュアルの利点を説明し
て作成を依頼しており、それを待っていた段階だとすると、その校長の過失は下が
ります。が、当座のあいだ、どう対応するかをどこまで校長自身が努力していたか
を立証できないといけないでしょう。教育委員会も、どんな日程でどういうマニュ
アルをつくり、研修をするので、当座はこういう対応をしなさい、という通達をし
ていない場合、過失があると認定されるかもしれません。
例えば、相談の対応に教員の増員が必要であるとします。上述のマニュアルを増員
(予算)と置き換えていただいて同じです。
具体的に見た、相談を受けた、イジメや暴力に対して、どういう対応が適切なので
しょうか。この法律は、その内容を問うものではありません。飯田さんが例をあげ
ておられたように、校内暴力を押さえるために、先生が力でもって生徒の暴力を押
さえていたとします。しかし、ある日、その暴力生徒は校内で傷害事件を起こしま
した。この場合、確実に問われるのは、一般的・普遍的な意味での、先生が行使す
る暴力の是非ではありません。その学校の、その生徒に対して振るった暴力の是非
です。口頭では全くいうことを聞かない、といってその生徒の行き場が学校以外に
無い、力で押さえないと他の生徒が怪我をする、この先生の立場では、校内の安全
を確保する上で、やむを得ない行為だった、などと立証できれば過失はないし、逆
に先生の暴力が火に油を注いだ、となると過失となります。繰り返しますが、立証
には普段の管理の記録が重要になります。
(子供がイジメの相談をしやすい環境・システムの研究は本当に重要ですね)
つぎに地域・親ですが、立派な警察官に申し訳ありませんが、もし警察の方が被害
者の訴えを放置した場合は”過失”でしょう。加害者の(あるいは被害者の、あるい
は近所の)親が、自分の(知り合いの)子供がイジメに荷担しているのを知ってい
て、適切な指導や連絡できていない場合も過失でしょう。コンビニのおじさんが、
いつも店の中でイジメやカツアゲらしきものを見ていて、通報しなかった場合は、
ある程度過失でしょう。民生委員や児童相談所の方が、具体的な叫びについて、学
校や親と連絡を取らなかった場合も、難しいところですが過失かもしれません。
この法律の目的は、前回も言いましたが、このように普段からよりシステマチック
な管理を行うことを強いることで、イジメ犯罪行為を未然あるいは芽のうちで摘む
ことです。万が一事件がおきたときも、罰することは目的ではありません。過失が
起きたときに、その過失がどこにあって、どうすれば防ぐことができたか、そして
それを今後どう改善するのか、を問い掛ける法律です。
残念ながら事件が起こり、過失が発覚した場合、その管理の過失について、具体的
に誰がどれだけ責任をとるべきか、難しくて迂闊には言えませんが、過失の程度は
当然として、その被害者の受けた被害にも、多少連動するのでしょうか。当然、今
後の改善はコミットしなければならないでしょう。被害者へは、公的場面において
の精神的謝罪であって、相当悪意がある場合には、慰謝料になるのでしょうか。性
質上、示談も多くなるでしょう。本当に法廷へ立たされるだけで相当の罰とも言え
るかもしれません。ただ、日本では一旦失敗すると、さらしものというか、村八分
というか、法律とは別の、きつく永久に続く差別的な罰が待っている場合がありま
すが、そこで受けた法的な罰をはたせば許す、という復活の精神は、これからもっ
と勉強しなければならないかもしれません。
これらを行うことは、例えば仮に保健室が相談所なら保健室の先生や、民生委員の
方などに大変な負担をしいます。しかし逆に考えれば、もし保健室の先生や民生委
員で対処できないとすれば、それは今のシステム自体が本質的にワークしない、欠
陥がある、つまり、このままでは永久にワークしないわけです。これでは先生と生
徒が被害者です。私は、上に書いたことは、法制化するかは別としても、当然すべ
きことであると確信しています。したがって、できないということはつまるところ
放置であって、もしワークしないならば、相談の先生を増やすとか、兼務を無くす
とか、システムを変えねばならないわけです。法制化すれば、予算が無いから法律
が守れませんとはいえないわけですから、逆に法を利用することで、現場にとって
やりやすくなる、いや、やりやすくすべきことです。
いくつか想定される問題点に先にお答えします。
Q.先生の能力によって、問題に対応ができない場合がでないか?
A.対応のレベルを問うものではありません。自分で対応できない場合の処理が適
切かが問われます。
Q.子供を監視強化することで逆効果にならないか?
A.放置することが過失にならないか、という視点で見て、行動して(しないで)
ください。
Q.対応する体制をととのえるのに時間がかかります。
A.時間がかかる(かかった)ことを説明できるように過程を記録してください。
Q.現場のモラルダウンを招かないか?
A.目的を理解頂ければモラルがダウンすることはないと考えますが、モラルがダ
ウンした場合、より明確にわかるシステムとなります。
じゃあ、まずシステムを変えてから法律を直せというロジックもありますが、実際
のところシステムを変えるというのは試行錯誤のところがあります。現実に改革と
いうのは、まずゴールというか目標を先にルール化し、それに向かっていくという
場合が多い、というより、その方が現実的です。セクハラも実際には、試行錯誤し
ながら、勉強しながら、法律に追いついていってます。よその会社(学校)はどう
やってるか、判例はどうか、勉強する動機が増えるのです。公務員倫理法もそうで
はないでしょうか。
法律が施行され、現場の対応がおいつくまでに、色々と試行錯誤されます。判例が
できあがるまで時間がかかります。司法もその時系列をさじ加減しながら適用して
いく必要あります。いくつかの矛盾する事態もおこるでしょう(人身御供とはいい
ませんが)。しかし、いずれは通らねばならない矛盾ではあるわけです。
いけないのは、法律・規制に対してネクラになることです。禁煙もそうですが、法
律を利用してやる、いう心構えが重要と思います。子供たちを守る法と思って魂を
こめればいいのです。魂をこめた立法を行えるかに、我々大人の子供たちへの見識
を問われるわけです。子供を縛る法ではありません。
最初は現場が混乱するでしょうが、いずれ解決できることと、学校の教員は信頼し
ています。むしろ心配なのは傍観的な父兄そして地域です。繰り返しますが父兄も
他人事ではなく管理責任があるということです。
じゃあ、具体的にどう立法するのか、ということになりますが、その前に、今の日
本の考え方・システム・習慣とかなり違うと思いますので、皆さんのご意見を伺い
たかったわけです。
ここでは、心の問題そのものは触れていませんが、祐樹さんの文章を読んでインス
パイアされたことがあるので、別途投書したいと思います。
WES