事件には、被害者の立場、加害者の立場に加えて、第三者の立場があります。少年
犯罪の場合、具体的には、加害者の保護者(両親)、犯罪の舞台が学校の場合の学
校・教師、その事件が起こった地域のサポート、たとえば警察、相談所などです。
加害者の保護者は加害者自身ではないので第三者としていますが異論あるかもしれ
ません。今の少年犯罪で第三者が管理責任を取るということは、自発的罰則にゆだ
ねるのみ(親の場合自己反省や社会的制裁、学校や組織内部での自発的処分)、被
害者を交えて法律で罰せられるということはありません。学校や警察で不手際あっ
ても、せいぜい注意訓告減俸一ヶ月10%で終わります。それさえもめったにあり
ませんが。損害賠償請求という手段がありますが、証拠調べから提訴まで、被害者
に相当の負担を強います。

飯島さんの例をとっても、被害者がこれら第三者から情報を得ることは非常に容易
ではありません。少年犯罪に限りらず、個人が(実は個人個人の集まりである)組
織を追求するのは大変難しいことです。

しかしながら、他の分野では、昨今、徐々にではあるが、様子が変わってきていま
す。アメリカでタイヤの不良の問題(一般的にPL問題といいます)がおこってい
ますが、これは加害(容疑)者であるタイヤメーカーが自ら過失がないことを実証
する責任があります。どこかの会社の様にリコール隠しをやっていたりすると、相
当きつい罰になりますが、まじめに管理チェックを行っていた事が実証できれば、
それなりに減免されるのでしょう。いずれにせよ、被害者が訴えるだけで、加害容
疑者が自ら潔白を実証せねばなりませんから、被害者の負担は非常に少ない。日本
もPL法が施行されたので、メーカー側はより普段から注意管理を徹底し、それを
記録整備しておかないと、なにかおこったときに取り返しがつかなくなります。

志田さんが前に述べられておられた、被害者がとる(得る)べき3つのステップ
(謝罪、償い、応じない場合の報復としての実名報道)を被害者の親、学校、地域
ぐるみで進めること、全く同意の上で拝読しました。犯罪を減らすのはもとより、
この最初の2ステップを法的拘束のもとで、被害者が進めることが容易となるよう
に、法律の制定あるいは改正を行うことへの是非はいかがなものでしょうか?当然
のことながら少年法にも触れることなので、少年法の改正も必要となりますが。

志田さんがおっしゃるように、あるいは飯島さんが行っておられるように、被害者
が草の根的に大変な努力・出費・リスクをもたらしながら3つのステップを進める
ことは、逆にいえば、努力・出費・リスクを負えないものは、我慢しなさいとい
う、一般的に立場の弱いといわれる被害者への、更なる弱者差別的な考えにもなり
えるとはいえないでしょうか?現実に、個人で戦うには、相当の努力に加え、経済
力・人脈・教養・人間性を要求するものとなり、いわゆる社会的経済的地位の高い
ものほど容易になりそうで、一般的に見て経済的社会的弱者は限界があって、取り
残されやすくはならないでしょうか?

ここでの強者・弱者の区別の表現や言葉じりをあまり厳密に考えないで欲しく、悪
く取らないで下さい。飯島さんを、強者と、ある種悪い印象でとらえて欲しくあり
ません。例えば、学校や地域と話し合いをもったり、会を運営・参加したり、法律
を調べたり、よい弁護士を見つけたり、弁護料を負担できない人々も多いでしょう
し、時間も取れない人も多いでしょう(大黒柱を失っている方とか)。そういう方
を一応弱者と呼ばせてください。強弱という言葉が気に入らねばABでも松竹でも
紅白でもなんでもいいのですが。

やはり、強者も弱者も差別なく進められるには、支援の法律(とそれを施行する公
共機関)が必要な気がします。ちょっと違いますが、福祉活動もボランティアでは
限界あって、法律と予算が絶対必要なように。

法律のひとつの例ですが職場でのセクハラがあります。かってはほとんどの被害者
が泣き寝入りであり、仮になんらかの勝利を得ることができたとしても(例えば移
動とか左遷とか慰謝料とか)、相当のリスクと大変な努力を覚悟で戦う必要があり
ました。これは被害者が弱者で、加害者は会社や組織に守られやすい、あるいは隠
したい立場であったためです。

まだ、改善途上なのでしょうが、海外から輸入されたといってもよいセクハラ防止
法により、ようやく会社組織単位でセクハラ対策の動きが出ています。職場で指導
する・窓口をもうけるところも多くなってきています。

この法律が今までと大きく違うところは、それまでセクハラ行為は個人間の問題で
あったのを、会社や組織の管理責任の問題も加えたことです。そして、事件が起
こった場合、会社や組織自身がみずからその管理責任を実証する義務がある為、被
害者自身が行う実証への労力負担がはるかに減ったことです。

管理責任を問われるということで、会社・組織は普段の指導・監視はもとより、万
一発生した場合の対処を有効に行っているかを問われるようになり、その為の改善
への努力を進めるようになってきています。被害者はこの法律によりプライバシー
を守られながらも事実確認と審理を受けることも容易となり、セクハラ行為の停止
と、謝罪と賠償を求めやすくなりました。

この「セクハラ」を「イジメ・暴力」に、「職場」を「学校・地域」に、「会社や
組織」を「加害者の親・学校・地域」に置き換えると、こうなります。

”学校・地域でのイジメ・暴力は、それまで個人間の問題であったのを、加害者の親
や学校・地域の管理責任の問題も加えたことです。加害者の親や学校・地域自らそ
の管理責任を実証する義務があるため、被害者自身が行う実証への労力負担ははる
かに減りました。管理責任を問われるということで、加害者の親や学校・地域は普
段の指導・監視はもとより、万一発生した場合の対処を有効に行っているかを問わ
れるようになり、その為の改善への努力を進めるようになってきています。被害者
はこの法律によりプライバシーを守られながらも事実確認と審理を受けることが容
易となり、イジメ・暴力行為の停止と、謝罪と賠償を求めやすくなりました”

セクハラの場合、被疑段階(例えばクレームによる社内調査段階)では、被害者も
加害者のプライバシーをきつく守る必要があります。(違反して不必要に漏らすと
審理の際に非常に不利になります)。被害者、加害者及び加害者の管理義務者(加
害者の親、学校、地域)のプライバシー保護と守秘義務に対する規定罰則も不可欠
です。

被疑者の冤罪を防ぐために、事実確認と審理は慎重に行う必要があるのは当然で
す。実際、アメリカでは、社内調査段階で加害行為が軽度のうちにセクハラ行為を
止めるために、ほとんどがそこで終わります。双方誤解であったということも多々
あります。学校のイジメの場合はそう簡単には行かないでしょうが、少なくとも今
色々いわれている、イジメの芽を、色々な人が色々な目で注意して見つける努力を
するだろうし、万一重大な事件が起こった場合に被害者の労力を大幅に軽減できる
ことと思います。

これは、当の加害少年(大は殺人から少はイジメまで)の人権や更生への配慮をで
きる限り失わずに可能なことと考えます。もちろん、加害当人が実行してしまった
加害行為への追求は非常に厳密になるし、相応の謝罪や賠償はしなければならなく
なります。被害者の場合でも、冤罪的な言いがかりに近い場合やきちんとルールに
のらないで進めた場合、逆に告発した方が罰せられるかもしれません。

そして、管理責任違反の場合(イジメ暴力行為を放置した、監視行動を怠った、報
告しなかった、不良行動を放任した、など)、どれだけのペナルティを設けるかも
議論の一つのポイントです。セクハラの場合、アメリカでは管理・対応が不十分の
場合、相当の慰謝料を払わねばなりません。ここで、第三者の範囲はどこまでなの
か、そしてどれだけのペナルティを受けるべきかを、どうコンセンサス取れるか、
ここに我々日本人の少年犯罪に対する覚悟の度合いが試されるような気がします。

こういうと何か恐怖管理のようなイメージもありますが、逆に、親や学校、地域が
加害者に色々と注意し努力していたにも関わらず起きてしまったというような場
合、これら第三者の責任はかなり免れる訳で、第三者を守るためにもあるとも言え
ます。セクハラ法でも、重要なことは、普段注意をしていることで、事件を未然
に、あるいは初期で防ぐことなのです。起きてしまったことを糾弾するのはその次
の目的なのです。

志田さんが心配なさるように、法律は個人や組織を締め付ける要素が多分にありま
すが、組織レベルの志向を変えるためには非常に有効な物であることは否定できな
いのでは。悲しいかな、チャーチルが民主主義を欠陥だらけだがそれ以上のシステ
ムは今は無い、と言ったように、法律でもって変えること以上に有効な方法はなか
なか見つからないのが現実ではないでしょうか。むしろ、ならば法律を賢く利用し
ようというのが、昨今の欧米風の考え方と思います。

先日のTVで横浜の児童相談所の方が、被害者の親から情報の開示を求められ(自
分の子供が相談した内容)、黒塗りだらけのコピーを出して、どうか自分達(横浜
市)を訴えてください、今の法律ではこれしかできないのです、と言っていまし
た。

最後に、自ら禁を犯しますが、さちさん、まだ読んでおられて、また戻ってこられ
るのかわかりませんが、私も札幌出身です。離れて20年以上になります。

WES