富久邦彦様
私へのメッセージ、ありがとうございました。子育て論など、対極の立場にいらっしゃりながら、とても深くお読みいただいているようで、恐縮いたします。
一方、富久さんご自身の心の傷が大きいなか、ずいぶんお気持ちを抑制して意見を読んでいただいて、申し訳ない気もいたします。
私は、今、この掲示板が、守るべき少年の心を、自殺を呼ぶいじめのように大きく傷つけてしまったことを、参加者として深く反省しなければならないと思っています。あなた一人ではなく、過去にいくつもの気づいていながら見過ごしてきたバッシングがありました。叩かれ排除された人が、namiさんのように明快に自分の心を表現されない場合、どのような心の状態になるか、ここで、被害者意識だけを錦の御旗のように大上段に振りかざし、幅広い考えを排除しようとされている方々には、それが見えないかのように思います。
当事者の飯島さんが、感情的に表現されることは、感情でしか表現できないことが良く伝わって、私はこのHPに限って言えば、良いことだと考えます。たとえば、憎しみがどれほどのものかなど、当事者には言葉でなどとても言い表せないでしょうけれど、それでも言葉でできる限界までの表現をされていて、経験しないものも、及ばずながらそれを想像することができます。
ただ、それはHP上の論理であり、被害者に心を重ねた場合の判断であって、法改正というような厳然たる全国民的視野で考えなければならない問題を、感情の問題としてではなく、法の問題として冷静に考えたい人には、当然、付帯的に批判的意見があると思います。
その上、当事者でもない人が、当事者と同じ言葉でそう言う人を支配せんばかりに攻撃されれば、冷静な客観的立場の人には、それは受け入れがたいこととして受け取られることは当然あるでしょう。
さちさんと富久さんとは、立場は違うけれど、BBSについて、同じことを発言されています。さちさんはご自分の論理からの発言が、飯島さんの意図に沿わず、飯島さんを傷つけるのであれば、同じように考える人はまた現れるから、BBSは閉鎖したほうがよい、と言うようなことを言われ、あなたは、飯島さんの意図に沿わない、また飯島さんの心を傷つける意見がくりかえし続くので、BBSは閉鎖したほうがよい、というようなことをおっしゃっていたと記憶しています。
「法改正の是非」というような構えであれば、さまざまな意見があって当然です。私も含めて通りすがりに覗いてみたら、現実のすごさに立ち止まって釘付けになっている方も多いと思います。
ここで立ち止まった方々は、飯島さんのHPの情報量と質と心を捉える表現方法の虜になっている場合が多いでしょう。立ち寄っただけの人々全員に 、その上、少年法改正への積極的な意見ばかりを求めることは無理ですし、当然、それぞれの立場からの論理があると思います。さちさんにはさちさんの立場があって、それはこれまでのご自分の体験と学習と子育て歴の中から構築されているもので、にわかに別の立場には変われないのが当然です。
法改正の問題を追究する中での対立する意見への不快感については、これも論理を基盤にしていればやむを得ないことではありませんか。参加者もみんなそれぞれの面で不快感を抑えながら、対峙しているわけですから・・。意見を求めておきながら、心からの純粋な発言に、被害当事者の不快感だけを、これも錦の御旗のように、「当事者でない人」が振りかざすとしたら、それは真理の追究とも連帯とも遠いものです。
namiさんの件では、WESさんの判断にそって、あなたが不本意に詫びられたとしても、namiさんは非常に聡明なお嬢さんです。敏感に心を読まれると思います。少女というにはあまりにも多彩な心の体験をもった方です。ご本人が友人のアドバイスとして書いておられるように、また、重なった新たな深い傷の修復に彼女自身でとりかからなければならないと思います。
直接心に沿えるのは、ここでは、さちさんしかないでしょう。
スケープゴートだとおっしゃりながら、さちさんを繰り返し罵倒なさることが、namiさんの心には八つ裂きにされるように痛いのだということも分かっていただきたいと思います。ここで書かれた文字の 一語一語が心に突き刺さるのです。
あなたのお気持ちも、揺れに揺れて、大変な様子は十分拝察できますが、被害者のお立場を強調されながら、やはり富久さんは強者です。強者として歩んで来られた過去が、どうしたって剥き出しになってしまいます。それがあなたご自身なのですから、もし、本当に変わりたいと思われるのでしたら、相当のご決心が必要になります。
もちろん、日本のお父さんはずっと多くがあなたのようでした。でも、 いまは子供達の育ち方が違ってきています。意識はみんな大人と対等なのです。老いも若きもありません。
何時になったら私のような心境になれるか、とおっしゃっていますので、申し上げるのですが、少しお時間ができたら、若い人達と対等に活動できる場を求められれば、今回のような危険なことは避けられると思います。私は、もともと仕事柄、日常的に若いお友達に囲まれていますが、それでも、12年目に学生として娘の学校へかよって、福祉を志す若い友人達の心を教わったりしてきています。
学校へ行こうと思ったのは、娘の心を辿り続けていて、彼女が専門を転向したあとの、最後の学校のことが分からなくて、この目で見つめ、足で調べてしか書けないと考えたためです。ところが、卒業してみると、主目的よりも りっぱな副産物として、たくさんの若い対等な友人達ができていました。
ご子息信介さんの事が心の9割を占めているといわれますが、多分悲しみのほうは、年々静かに深まるばかりだと思います。生活を共にしなかった人は、みんな、忘れないと誓っても、死者のことを忘れていきます。思い出すだけです。でも、同じ屋根の下の親子とか、感じやすい年頃の兄弟姉妹とか、パートナーの死は、違います。体の中に住みついてしまいます。
それでも、どうか悲しみを刃にはなさいませんように。私が飯島京子さんに悲劇のヒロインでいてほしくないというのも、その意味です。
飯田 啓子