志田です。
ようやく、被害者のHPに、法関係者(弁護士、警察署)がここに来てくれました。
飯島さんにとって、私たちにとっても、これほど、励みになることはないと思いま
す。
1274毛利さん
新世紀に相応しいことば、私もまた、次の言葉によって、このHPがぬくもりのある
場所になること
を期待します。
毛利さんWROTE
「人は長い歴史の中で、ようやく、自分の自由な選択によって自分の言動を決定して
いける時代
に入り始めたのではないか。人類の大きな前進である。
これからは、人と人がいろいろな場面でいろいろ自由なつながりを無数に造っていく
事によって、
人・自然・社会歴史を前進させていくことが出来るであろう。」
1274あいりすさん
内部告発の勇気に感服します。私もまた、子供を亡くした親御さんの告発に勇気づけ
られる立場です。
できる限りの継続的な連携を願うものです。
TPさんへ
いろいろと意見を求められながら、やはり、飯田さんがおっしゃるように、
文章の限界を感じない訳にはいきません。
TPさんが(27日朝日新聞)「大分県の一家6人殺傷事件の加害者少年(16)最
終審判が
大分家裁で26日開かれた」についてのコメントを求められると、
すぐさま、(28日日経新聞)「木曽・長良川リンチ殺人で元少年3人に死刑求刑、
愛知、岐阜、
大阪の3府県で1994年、4人が殺された連続リンチ殺人事件」の事件が報じられてお
り、
また、このHPの中にも、そうした殺人者に対するコメントは山ほど有ります。
被害者の会のホームページにもこうした事件、被害者の訴えが載っています。
紹介して頂いている本も読んでもみますが、飯島さんの紹介くださった黒沼さんの著
作も
被害者の立場からすれば、優れものです。
私は何回も言いますが、殺人者を憎み気持ちは人一倍と思っています。
されど、私の子供たちはそうした事件に遭わずにすくすくと育ち大人になっておりま
す。
既に、子供を選ぶ訳にも行かないですから、永遠に被害・加害当事者にはなれないの
です。
それでも、被害当事者の気持ちへの接近は、支援や同情ということではなく、
本当に連帯できないものかと考えています。
それは、万人の親が感じる心であると思います。
しかし、「貴方は被害者でない」といわれるのも、「貴方は被害者の気持ちが分って
いない」
といわれるの筋違いというか、的外れを感じます。
少年法改正派の人々の主張の多くがそのように見えるものだから、反対もします。
特に、「被害当事者の立場に立って、少年法改正を訴える考え」が理解できないので
す。
被害当事者以外に、被害当事者になれないし、その立場には立てない。
なら、そうでない立場での少年法改正の組み立てはいかなるものかを検討すべきもの
です。
もちろん、加害者当事者の立場も生じます。ほとんどが、健全な少年を持つ親で、
こうした犯罪には関係の無い親達だって、当然、別の立場です。
この時に、「あなた達もその身になった積もりで考えなさい」とは言えないのです。
「支援なら」、「同情なら」いえるでしょう。
しかし、それでは、何も変わらない。
世界から、被害者・加害者が出るのはもう沢山です。
親・大人が、被害者・加害者を生み出さない様にどうするかです。
厳罰法は手っ取り早い方法です。
それでは、今まで変わってこなかった、今後も変わらないという主張です。
日本人は昔から子供を大切に育ててきました。
外国人からみれば、子供の天国に映ったようです。
現在、日本の子供たちには、夢がないようにみえます。
少年法改正は、少年法に託された夢まで壊して本当に得るものがあるのかという主張
です。
私の少年法改正反対の立場は、そのことで、多くの少年の夢をさらに壊すのではない
かという立場です。
少年法は全ての子供たちへのメッセージです。
その中に、「厳罰」のみを強調するように訴えるのでは、
少年達へのメッセージにはならないであろうということです。
子供たちは、生死まがいの冒険をやってのけます。
その一連の中で、死亡事件も発生する例が多くあります。
この冒険、挑戦が無ければ、大人ががんじがらめに子供たちを押え込んだのでは、
子供たちは、夢も希望も無くなります。
リスクのない温室育ちでも、大きくなった子供たちは、目標を失い、いざというとき
には、
対処方法を知らない、大人へと成長します。
ゆうき君の事件はよくある悪同志の喧嘩です。
しかし、あそこまでやると殺人です。
しかも、瀕死者を置き去りにするやり口は鬼畜生です。
警察も、マスメディアもその事実を突っ込めないでいるのは怠慢です。
怠慢以上に犯罪者に成り下がったというべきでしょう。
親御さんの訴えを無視するやり口は、事実を隠蔽するに荷担した加害者でもあるわけ
です。
加害者の親族が子供たちを庇うのも同罪です。
そこに住む地域の人たちもまた、学校の同級生達もまた、
親御さんの訴えに耳を傾けてないとすれば、同罪です。
しかし、われわれがここにいるように同罪でないための努力をするとすれば、
これが被害当事者への連帯になると思います。
加害者への門戸を開くのは、その事実を知るためです。
そこから、二度と事件が起きないための方策を模索するためです。
そして、何よりも、被害者の無念、怒り、恨みをぶつける場を持つことです。
そこでは、マスメディアが大きな力を発揮するでしょう。
しかし、それが頼りにならない今、こうしたHPは威力を発揮します。
TPさんのコメントが、私や飯田さんにではなく、
この事件を詳しく知っている人へのアッピールならば、分ります。
むしろ、暗いニュースを流しつづけるマスコミの姿勢が問題です。
マスコミがニュースを流すにしても、警察詰の記者が「警察の一方的な通達」を記事
にするのではなく、
その通達事実すらも、自らが足で稼いで、事実とその公平さを確認し、
報道する姿勢が、報道を預かるものの義務です。
マスコミ報道記事を取り上げて、コメントするには余りに僭越です。
むしろ、明日、私の回りで、こうした事件が起きない様に、起きないことを確信する
ように、
そうした仲間の一人でも増えるように、小さなコミュニティが広がりを見せることを
願います。
少なくとも、このHPの周囲では、2度と犯罪が起きない、
という確信を持てるまでともに連帯できればと思います。
最後に、私の主張が「加害者擁護、被害者軽視」の主張に見られ易い。
少年達への思いがこの区別を曖昧にしていることは事実です。
また、生きているものがたとえ、加害者であろうとも、他人の命を絶つように感じて
はならない
という主張も、誤解を受けると思います。
核家族の中で、崩壊したものから、少年を育むゆりかごが失われ、その殺伐さが、
少年犯罪を加速している(見え易くしている)と思うことも、被害者への負担を強い
るようです。
それでも、上の3つの事柄は、少年犯罪を防ぐ原点です。
これは、思想でもなく、生きざまです。