無数の声によって地上に縛られている…このままでは此処を去る事は出来ない。
自分に向けられた声を無視できない弱さは、時に自分を繋ぎ止めている気がする。
現実から逃げても、周りの人間のことを考えると、この身体と精神とを引き離すことが出来ない。
いくらでも自分は広く高くなれると、いつから口に出せなくなったのか。。。
私には逃げる場所が無い。死にたい人間に「死ぬな」は、残酷すぎる言葉で。。。
目が覚めていれば、何処に居ても考えることは尽きないのに、夢の中ではいつも[学校]にいる。
寝ても覚めても同じようなところ。この現実には休める場所も、時間も無い。
でも、自分だけが辛いとは思えない・・・アタマとココロの意見が一致しなくて苦しい。。。
 
私があの文章を入れてしまったことで、本題とは別な意見が交わされていることが今は一番辛い。
私に言いたいことがあったら、Pierrot関係のHPで、「埜未雨」宛に送ってください。
ここでの私とはまったく別人な私がいます。埜未雨の時なら、もっと感情的にならずにいられるから・・・
これ以上此処を荒らすのは嫌です。もう来ないつもりだったのに、“お気に入り”から消えなかった。。。
 
こんな情けない自分に対して沢山の人に言葉をかけてもらって、有り難いと思う。
 
様々な意見、考え方、物の見方が有るのは、学校という枠の中にいるのでわかっている。
実際、委員・議長・生徒会、どの仕事の時もそれはよく言われたし、教科書にも載ってるから。。。
でも、あそこまで強烈に言われたことはそんなに経験が無かったので思い切りイタかった。
  富久さんにとって 子供で、傲慢で、無知で、無礼で、愚か でも、其れが私で
そういう風に取られてしまったことが変えることの出来無い事実だったから消えたかった。逃げたかった。
でも、言ってもらったことで良い勉強になったかとも思う。既成概念の一部が壊れた気がしなくもない。
 
「いくら悩んでも、いくら傷ついても、切り開くのは自分だ」と、友達が言ってくれた。
死を通して知り合った人間とは高め合える関係が築けるのかと、思った一瞬だった。
時間を経て考え直すことによって深く考えが構成され、その考えを意見として交わすことによって、
更に様々なものの見方を持ち、自分の意見・根本的な考えを深めていけるというのがよくわかった。
 
明日の朝、起きるのが辛い。一日が始まることが、何より嫌でならない。
だけど目を覚まして心理カウンセラーの勉強を始めようと思う。学校との両立は難しいけれど。
お金はかかるけれど、自分がこんな状態では、何も進むことなんて出来ない筈だから。
 
私をいつも動かしてくれるのは、早くに亡くした下の兄弟。君を一番救いたかったと、今でも思う。。。
私よりも小さい、この世でほとんど時計の針を動かさなかった汚れなき君。
だから看護士になりたい気持ちが確実に現実に結びついたし、命の儚さを学んだ。
君を亡くしたとき、母親は暗闇で幼い私にさよならを告げ、朝方、死にきれずに崩れて戻ってきた。
あの時から14年経って、未だに忘れられない母親の絶望感の塊のような瞳は、今もう見ないけど消えてはいない。
 
さちさんに、直接言葉を届けたい。。。ホントは手で書くのが一番なんだけど、0・1信号で、今は。そんな気持ち。
 
それでは、体中の皮がはがれて痛いし、髪も色が薄くなっておかしくなってきたので
 此の辺で失礼します。乱文を長々とすいませんでした。     nami