京子さんの日記に、こう書かれていました。
「私の気持ちは、富久さんが代弁してくださっている」と。
namiさんの『今日知りました』を読んだ時、
「私の気持ちは、ここに書かれてある」って思った。
 
自分の気持ちを理解してもらえない事って、本当に悲しいって思った。
だから、どんなに京子さんも悲しかっただろうって思った。
 
「貴方は、自分の命より大切な我が子の命を、突然奪われた事がありますか?」
 
この思いを理解する事は、私には不可能です。私には経験がないから。
『疑似体験』・・これで、どこまで近づけるのでしょう・・。
哲学書、心理学書に記されてる事を、謙虚に真摯に読めば、その思いに
近づく事ができるのでしょうか・・・人の思いってそんなに簡単な事なんでしょうか。
 
「悲しい」気持ちに、順位はあるのでしょうか・・?
自分の中では、子供の命を奪われた悲しみは知らないけど
親の死の悲しみとは決定的に違うだろうくらいは、“想像”できる。
だけど、子供を持つ『親』になってから、『親』を亡くす事と、
まだまだ『親』に甘えていたい子供の頃に亡くすのとは、また悲しみが違ってくる。
今の自分のこの悲しみが、究極の悲しみ・・・其々が違って当然なのではないでしょうか。
 
富久さんの『namiさんなる方へ』を読んだ時、ここに訪れる事は、これっきりにしようって
思った。私は、ここにくるべき人間じゃないんだって。
namiさんなる方へ、ではなく「さちさんなる方へ」という意味で読んでいた。
反論はしたくなかった。富久さんの気持ちが理解できない訳ではなかったから。
だけど、空しかった・・・どんな言葉も見つからないほど、ただただ悲しかった。
だけど、namiさんの言葉を読むまでは、ここに来る・・。そう決めていました。
 
namiさんに嫌がられるかもしれないけど、
namiさんに私は救われた。
私も、namiさんのように正直になりたいって思った。
 
子供のような文章と言わないでくださいね。
子供をバカにしてるように聞こえますから。    
 
              ペンネーム  さち