飯島京子様
タイムカプセルに入れられたおはがきの記事、感慨深く拝見しました。せっかくの記念の一つ一つが、今は悲しみの種になるばかりかと思います。悲しいけれど、なんとも不思議な、かけがえのない記録ですね・・。私の娘のところへも、つい最近、「○○の教室を開きませんか」というパンフレットが届きました。死んだ子へ来るダイレクトメールに怒っている投書がありましたが、私は、生きているように扱ってもらえて、甘酸っぱい思いで読んでおります。
新年早々、また、お邪魔してすみません。
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TP様
世紀にまたがるご意見、ありがとうございました。
私の婉曲な抗議の意味がお分かりにならないようなので繰り返させていただきます。私は、あなたの「ご意見」について何も反論していません。あなたの推測が当たっているとかいないとかの問題ではありません。ただ、非礼だと申し上げているのです。
なぜ、人の考えをパターンで分けなければならないのですか。私は、私自身の意見を持つものであって、どのような他の方の意見とも異なるはずです。第一、なぜ私が大分の事件について意見を言わなければならないのでしょう。朝日のその記事も対立する識者が誰なのか、どのような意見なのか、私はまだ、読んでもいません。マスコミ情報でしか知らない少年事件について、にわかに意見が言えるほど私も暇ではありません。締め切りのある自分自身の仕事がひしめき合っていて、眠る暇もなく忙殺されているのです。
法改正や裁判に関して、あなたを納得させる説明を私に要求されているようですが、私の立場で言えることはほとんど言っています。
言うまでもなく、私は当事者ではありません。飯島さんから事件についていろいろ教えていただく立場でしかありません。法律の専門家でもありません。逆に、義父が裁判官も弁護士もしていましたから、知識や実践のないものの思慮の落差はおのずから弁えています。安易に法や自分の関わらない裁判について論ずることなどできないと思っています。
当事者は別です。止むに止まれぬ主張がおありでしょう。そのための実践を、非当事者は、それぞれが別の立場で、できるところで応援していくしかないのではありませんか。それぞれが意見は別でなければおかしいでしょう。なぜ色分けしたいのですか。そうなさるご自身を尊大だとは思われませんか。
飯田 啓子拝