さちさんへ
飯島さんは言い難いでしょうから、同じように失意の真っ直中に居る被害者遺族の一
人として、私ならこう感じると云う事を、他の方にも理解して欲しいから補足説明を
させて下さい。
BBS1015 トラトラ 学生、の方の投稿の一部引用です。
”「聞いてください」
私があなたに話を聞いてほしいと思って話をしているときに
あなたがアドバイスを始めたら その瞬間
あなたは私のしてほしいことを裏切っていることになる。
アドバイスはもう 本に出ています。
私は 無力ではないんです。
悲しみと失望でくじけてしまっているかもしれないけど
無力ではありません。 引用「犯罪被害者 平凡社」
”
この詩が被害者遺族の心情を見事に述べています。このトラトラさんの投書を読んで
頂ければ、良くご理解頂けると思います。この方はお若いのに大した人です。
飯島さんが「御意見」欄で広く意見を求めたのは、警察、検察、裁判、少年法のあり
方についてだと思います。「どう生きて行けば良いのか」についての意見を求めたの
ではないと思います。繰り返しになりますが、「悲しみ続ける人生なんて、憎み続け
る人生なんて」とか「悲しみを和らげる」「憎しみを減らす」とか。「悲しみ続ける
人生」が、「憎み続ける人生」がどうして悪なのですか、憎しみを減らすことが絶対
の善ですか。悲しみや憎しみがあるから、それをバネにして、飯島さんも私も行動し
ているのです。考え方は自由ですが、このようなことを人から言われたら、私なら不
愉快です。年端も行かぬ中高生が教科書通りに言っている様なものです。私が敢えて
「無礼」と言ったのはこの事です。上から人を見ていることになります。結果として、
そう受け取ります。ご自分の考えを、生き方を、押しつけていることになりませんか。
私は息子・信介が死んだ日の悲痛な思いを、非礼の限りを尽くした営団に対する憎し
みを決して忘れぬ様に、風化せぬ様に心がけています。私はキリストではありません、
「罪を憎んで人を憎まず」なんて、そんなきれい事は、そんな心境には生涯なれない
でしょう。そんな、通り一遍の、何処にでも書いてあるようなことは、百も承知です。
そんなに飯島さんも私も愚かではないのです。生き方のアドバイスは苦痛です。まだ
物事の良く分かっていない中高生なら、若者なら無視すればいいんですが。
生き方については、この9ヶ月間、誰に言われなくたって、死ぬ程考えています。も
がき苦しんでいます。私と妻の全てを注ぎ込んだ信介の死は、私どもの生死をも巻き
込んだ痛恨事で、そんなに軽くはないのです。信介のみならず、私どもの人生が一変
し、修復不能なのです。営団との戦い、報復、私の思いを遂げることに命を懸けてお
ります。それが、私の分身のような信介への、本当に一生懸命全力で生きていた信介
への弔いであり、礼儀だと思っています。考えに考え抜いた、私の結論です。戦いに
は敗れるかも知れませんが、返り血を浴びてボロボロになるかも知れませんが、覚悟
の上です。時間も労力もお金も大して使わずに戦う方法もあります。
私がHPを開設したのは、怒りからです。営団への脅しでもあります。理不尽な事を
やり続けた営団に、乗客の命を、信介の命を余りにも軽く扱って来た営団の姿を公開
することで報復を計ったのです。他に訴える手段が見つからなかったのです。新聞・
週刊誌・TVにもイヤと言う程出ました。HPに信介のことを写真を含め詳しく乗せ
たのは、営団に対して「あなた方は、こういう男を、こんなにも一生懸命に生きてい
た若者を殺したんだ」と言うことを彼らの心情に訴えることと、今一つは信介の存在
証明です。富久信介という男が生きていたんだと言うことを残したかったのです。信
介を失って私達夫婦は人生を否定されたような気がしています。ですから、あいつは
生きていたんだと残したいのです。来年3月8日の一周忌に信介の生涯を記した本が
出ます。私の友人が、信介の幼稚園、小学校、中高、ジムなどの友人知人の取材を既
に終え、信介の生涯と周囲の青春群像を書いてくれることになっています。営団のこ
とや事故のことは一切書かないと言っています。誤解を避けるために申し上げますが、
私の手記ではありませんので、本の印税は私には一銭も入りません。信介の存在証明
を残したいだけです。
私が信介に直接やってやれることはもう何もないから、生きた証だけは残してやりた
いと、何でもするつもりです。頂いた香典や学資保険金は全額、生前お世話になった
諸団体に寄贈しましたが、結果として、麻布学園に「富久信介スポーツ奨学金」が創
設され、大橋ボクシングジムは「富久信介杯」を創設してくれました。麻布もジムも
それだけ信介を評価してくれていたんです。あいつの名前が二つも残り、あいつの命
の代償が後進の方の役に立つ。死んで名前が残っても空しいのだけれど、親として、
こんなに嬉しいことはありません。私は信介を溺愛してきたわけではありません。小
5から自立の始まった信介を一人前の男として扱いました。自慢の息子でもありまし
た。しょっちゅう私とぶつかっていて、生意気な奴でしたが、振り返ってみると、品
行方正ではありませんが、大した奴でした。結果を出す前に死んでしまった息子なの
で、自慢話のようになって、死んだ息子を自慢したって仕方ないのですが、ご容赦下
さい。お時間がありましたら、私のHPも読んでやって下さい。
ごめんなさい、信介のことを書き出すと止まらなくなります。
多分、飯島さんも、HPの開設は、理不尽な警察、検察、裁判、少年法のあり方を怒
りを込めて発信すると同時に、友樹君の存在証明をしたかったのだと思います。私の
場合は、せいぜい「何だ、息子の自慢話か」くらいの批判しかありませんが、飯島さ
んの場合は、ずっと大変です。友樹君の過失をなじられたら、悔しくて生きた心地が
しないでしょう。それを敢えて、止むに止まれず、返り血を覚悟の上で踏み切ったの
です。その気持ちを、その決意を尊重してあげましょうよ。
「いじめで自殺」に繋がらなければ、いじめや窃盗は修復可能ですが、死んだら修復
不能です。重さが決定的に違います。同列に引き合いに出されると、苦痛です。いじ
めのことを軽く考えている訳ではありません。経験があります。次男がこれを読むと
傷つくので、詳しくは書けません。心の闇を論じるのは止めましょうよ。このHPが
投げかけた問題は事後の事で、捜査システムや司法制度のあり方の問題です。心の闇
が少年法と関わりがあるとしても、このHPではなく、別なところで議論すればいい
と思います。配慮と節度の問題です。
長文で失礼しました。
横浜市 富久邦彦