「さち」さんへ
私がこの様な事を申し上げるのは最後にしますので、我慢して聞いて下さい。貴方様
を傷つけた私の言い訳です。
私が「さち」さんと「やまぐちやむこ」さんを名指しで非難したのは、貴方様方に飯
島さんを傷つけようなどと言う気持ちはかけらもないと、全て善意からだと分かって
いたからです。悪意を持って書いている人は最初から相手にしません。勝手にスケー
プゴートにさせて頂きました。でも、言い過ぎました。反省しています。
私が飯島さんの気持ちを全て代弁する事は困難ですが、私よりもっと苛酷な状況にあ
る事は容易に推測出来ます。私の息子の場合は正規に運賃を払って通学電車に乗って
いて、突然金属塊が飛んで来て頭を半分潰され即死したのです。過失はゼロです。そ
れでも、妻は「こんな家を建てて引っ越して来なければ良かった、方角が悪かったの
じゃないか」「仏壇の収納場所なんて作らなければ良かった」「麻布になんて入れな
ければ良かった、他の学校か公立に行かせれば良かった、そうすれば日比谷線に乗ら
なかったのに」等々、自分を責め苛んでいます。悪いのは息子でも私どもでもなくて、
安全を軽視し事故を起こした営団なのですが、取り返しがつかないから、将来を奪わ
れた息子が可哀想だから、自分を責めるのです。やり直しがきかないから、もう決し
て元には戻らないから。この9ヶ月、いわば、地獄の様な日々を過ごしています。死
ぬことが出来たらどれ程楽か。何をより所にして生きていけばいいのか。早く息子の
側に行ってやりたい。暗黒かも知れぬ死の世界で独りぽっちは可哀想とか。心の中は
混沌として堂々巡りの状態です。子供を事故で亡くした先輩は「時間が解決してくれ
る。それを信じて辛抱しろ」と言ってくれますが、1日24時間は長過ぎる、早く時間
が経ってくれと祈る毎日です。大げさに言えば、死を待つ人生です。平静な気持ちで
息子の死を受け止められる様になるには、多分、3年か、5年か、10年か、或いは
一生かかるか。こんな泣き言を言っても、何も生まれないことは頭では分かっている
のです。早く気持ちを切り替えねば、残った家族も何もかも全て崩壊することは。な
かなか出来ないのです。そんな自分をまた責めることになります。くどくど書きまし
たが、そのくらい、自分が生きていることさえ罪悪と思える程、苛酷です。なぜ神は
僅か17歳の息子を選んだのか、私を選ばなかったのか。生きることは、死ぬことは、
何か。もう、きりがありません。
飯島さんの場合は友樹君に過失があるのですから、もっと厳しく、自分を責め苛む事
になります。「どうして、気がつかなかったのか」「なぜ、バイクを盗んだのか」
「育て方を間違った」(飯島さん、ごめんなさい)とか。毎日、毎日、生きている限
り、自分を責めることになるでしょう。殺した加害者が悪いに決まっていても、何か
につけて自分を責めることになります。そういう状況に飯島さんはいるのだと推測さ
れます。だから、気付いてやれなかった、防いでやれなかった償いの気持ちもあり、
自分で出来ることは何でもやらねば、と思って、何をしても友樹君は生き返らぬけれ
ど、その手段の一つとして、HPを開設されたのだと思います。私も同じです。一方
的に息子の将来を奪っておきながら、保身と組織防衛のみに腐心し息子の命を奪って
申し訳ないという気持ちが全く無い誠意無い営団に報復せねば、息子に申し訳ないし、
息子が誇れる父親でありたいから、それなくしては私も残りの人生を生きては行けな
いと思っています。
だから、せめて、他人は、励ます気持ちや善意があるのなら、本人が死ぬ程気にして
いることには触れないでおくのが、思いやりではないでしょうか。育て方やバイク窃
盗について意見を求めるために開設したHPではないのですから。育て方を批判する
ことはその人の人生を否定することに繋がります。絶対に間違いのない育て方などあ
ろう筈もないのですから。
繰り返しのようなことを書きましたが、最愛の子供を亡くすことは、こう言うことな
のです。父親の私でさえ、こんな姿ですから、ましてや母親は。悲しみは生涯癒える
ことはないと思います。
こう言うことをお心にお留めになった上で、飯島さんを応援してあげて欲しいのです。
私の投書の中でお気に障ることを申し上げましたこと、お詫び申し上げます。
横浜市 富久邦彦