BBSが閉じられたのは残念です。
もともと、少年法改正を議論する場所であったので、
その制約を飛び出してしまった意見交換が支配的となり、
本来のBBSの役割を終えたと思っています。
それでも、私にとっては、BBSが少年法改正という枠を超えて展開されてきたこと
に意義を感じます。
このHPはゆうき君を殺害した加害者達が、真実を語り、
遺族へのお詫びをするまでは続けて欲しいと思うからです。
加害者達が、罪を償い、謝罪するにいたるには遠い道のりと考えます。
しかし、2度とこうした事態が繰り返させないためには、この我慢と継続が必要です。
TPさんへ
吉藤さんのTPさんへの気持ちも分ります。
言葉としての限界もありますが、こうした場合に、電話の方が意志が通じなかったり、
直接会うともっと誤解を招いたり。
これは、加害者と被害者の溝を説くためにも言えることですが。
私はTPさんへもう少し、答える積もりでまとめます。
私も含め、人間はグレーな部分が多く、つかみ所がないというのは一致するところです。
それでも、私たちは、加害者的な側面を制御し、被害射的な側面を強調する余り、
加害者の存在に余りに距離をおいてしまったのではないでしょうか。
昔だったら、誰が殺し屋かも分りましたが、今は、電車に乗っていても、
家庭にいても、職場でさえもが安全とは言えません。どこにでも、凶器もあるし、殺
人者もいます。
なぜ、この人がと思う人が隣人殺めたり、子供を殺害したり、します。
少年犯罪ならば、なおさら不可思議です。
子供の心の闇はほとんどの大人は分っていないと言われます。
もともと、成長期の子供のこころはよきにしろ、悪しきにしろ、急変します。
その瞬間が、子供にとっても自分自身制御し得ない状況ですし、
親や兄弟、、友人に暴力を振るいます。殺人に至る例も多々あります。
今日は、新聞で19才の会社員である父親が
生後1ヶ月の赤ん坊を殴って意識不明の重商を負わせたニュースがありました。
カーとなり易い性格であると報じられていましたが、
私は、人は20才は別として、こうした不安定な精神状況から安定な精神状況へ成長
しつづけるものと思います。
この瞬間について、グレーというよりは闇に近い子供たちの精神を
正しい方向に方向に導くことが重要であり、そのためには、
大人達は何を持って子供たちに接するべきかをと割れているのだと思います。
少年法でいう厳罰化でしょうか。
逆ではないでしょうか。現代社会での子供たちへのストレスは
子供たちの凶暴化を生んでい屡都いわれます。厳罰かはそれを加速させます。
私たち大人は、殺したいほど憎んでいても殺人者になることはありません。
罰せられるからではありません。それは、自らを律する術を知っているのです。
相互の生命の尊さを知っているからです。
しかし、憎しみを持っていなくでも、殺人を犯す大人達が沢山います。
保険金殺人、性犯罪、強盗、やくざの争い、戦争など様々です。
これらは明確な理由をもった殺人です。
少年犯罪の多くは病気を除いて憎しみです。
憎しみが殺人に変わる瞬間を私たちは知っていないのです。
彼らもまた、自らを知らないのです。
私たちはどの殺人がよくてどの殺人が悪いという判断していおるわけではないのです。
殺人はすべて悪い。
しかし、大人の殺人は悪いと知りながら、自らの欲求(利害)のために殺人を犯すこ
とであり、
子供たちは、自らの利害の何たるかも知らずに、殺人を犯すことになるということです。
ですから、子供への細心の注意と、加害者となった子供たちへの更生プログラムが必要です。
細心の注意とは、親だけがやるのものでも、やれるものでもありません。
子供たちが利害に走るのは親元を離れてみずからが独立を強制されてからでしょう。
それまでは、真の意味での利害は発生しないのです。
利害の以前の殺人は基本的には憎しみに依拠します。
しかし、憎しみによる殺人意識は成長すれば、ほとんどなくなります。
もちろん、戦争とか、やくざとか抽象的な利害に絡んだ憎しみ殺人は社会悪として存
在します。
しかし、私たちが、憎しみや利害だけでは人を殺せない様に、
子供たちも、いつかは憎しみで人を殺さなくなるという社会的習慣を身につけるのです。
戦争は少年をして戦場に駆り出します。
この少年兵は憎しみを植え付けられて、相手を殺すことのみ教わります。
散々、殺人を犯した子供たちが、帰還して清新異常を来すのはそのためです。
日常的な私たちの生活は、利害にしろ、憎しみにしろ、犯罪を犯すことを躊躇うよう
に生きています。
それは、他人の生を尊重するための仕組みけです。
類が類を殺すことはないというように、人類が生存していくための条件です。
しかし、不幸にも人々は戦争にて、理由も無く相手を殺すことを教わっています。
日本は憲法のお陰で、少年がこうした訓練を受けることを回避できています。
今後、どうなるかは分りませんが、子供たちが、殺人を意識するとすれば、
家庭であり、学校であり、地域であり、テレビ、映画、ゲームであるわけですから、
そこでの、「命の尊さ」を教えることは重要です。
少年犯罪はここで起きています。
ですから、少年犯罪は決して法の問題ではないのです。
法による厳罰化が、少年への大人の仕打ちでしかないことは明らかです。
大人の仕打ちへの少年の反発こそ心配です。
少年犯罪そのものが、少年の大人への、無意識な反発です。
法的な縛りが、さらにこの無意識の反発を拡幅することが予想されます。
少年犯罪への怒りは増すでしょうが、仮に犯罪が起こったとしても、
第1にその加害者の謝罪なり、獲得すべきです。
第2に加害者の罪の償いを実行させるべきです。
第3に、こうした行為が実現しないときには、法を犯しても加害者の実名を公表すべきです。
これらの1つ1つは大変な努力ですし、被害者の手におえない場合が多いです。
被害者当事者の会の努力ににも頭が下がります。
こうしたHPを開設されている飯島さんの努力にも頭が下がります。
1人1人と輪が広がり、被害者の負担がゼロになったときには、
犯罪の無い時のように思えます。
志田 糺