1201志田氏のご意見「加害者の論理」「被害者の論理」について。

 人には「加害者の論理」と「被害者の論理」を持つ人がいるのでしょう
か。そんな人を2つに分けられるようなものがあるのでしょうか。

 「被害者が自衛の論理を身に付けてしまった、この時代精神こそ問題
です。」と述べられているが、いつの時代がそうではなかったのですか。
そして、それこそが健全な精神の一歩でしょう。そして、その自立した、
自衛の精神の中から、より責任ある社会が生まれ、私刑をしないルールも
出来たのではないでしょうか。

 氏は、あたかも、加害者の論理を持った者と、被害者の論理を持った者
がいるかのごとく、まるで2種類の人間がいるかのごとく言われるが、
人間とは、そんなものでしょうか。

 私は、人をそのような2つの種類の人間がいるとは思っておりません。
ある状況が、人を加害者にもし、被害者にもし、また、天使のようにも、
ある時には悪魔のようにもするのだと考えます。

 氏は、まったく、加害者になることのない人のようにおっしゃる。また、
加害者となる行為をした人間を、そういう精神状態を持つにいたった人を、
まったく理解不能の違う人間のように言われる。

 そうではなくて、黒から白の間にさまざまなグレーがあるように、人にも
グレーの濃淡があって、また、状況によっては、同じ人間が、より黒くも白
くも、加害者にも被害者にも、良い行為もし、悪い行為もする可能性がある
のではありませんか。それが人間なのではないでしょうか。
 氏の言い方を敢えてするなら、ある場合は「被害者の論理」で、ある場合
は、「加害者の論理」になるのが、人間なのではないでしょうか。

 だからこそ、人は、他人に対して謙虚でなければならないし、また、相手に
話をする際には、なるべく論理立てて、分かり易く話さなければならないのだ
と思います。
 また、だからこそ、どうすれば良い社会が来るのだろうかとルールを形作り、
教育を大切にし、少しずつ、人の痛みが分かる、想像力のある子供を育ててい
こうとするのではないのでしょうか。

 私は、天使でも悪魔でもない、神でも獣でもない人間だからこそ、教育をし、
社会のルールを作り、誉め、励まし、時には、罰を与えなければならない場合
もあるのだと考えます。
 加害者の憎しみとなった原因を探る事は大切でしょう。が、原因を探れば加
害者は罰しなくて良いのですか。また、その原因が理解不能の場合は、精神病
院行きなのですか。
 被害者とその被害者の家族の痛みはどうするのですか。社会のルールをどの
ように守らせるのですか。

 理想は本当に大切なものだと思います。ただ、それを実現するためには、長
い道のりと現実に即した方法が必要なのではないですか。
 現実を把握しようとしない理想論は、恐ろしい結果をもたらせるのではない
ですか。現実と乖離した、純なイデオロギーが権力を持つと、現実に裏切られ、
理想を実現しようと、早急な、過激な行動にでるのではないですか。また、そ
の反動が来るのではないですか。
 そして、現実を把握するには、単純な2元論は、適当でないと思うのです。

1218、1219高橋謙次氏の意見について。

 また、加害者、被害者が生まれるのを親の躾にだけ、単純に当てはめ、その
原因の一端でもあれば、それを拡大解釈する。そして、事件一般でなく、当事者
に対して、何度も何度も同じ事を意見する。

 そういう態度は、基本的には、被害者には、まったく間違いがあってはいけな
いような、単純化が見られます。また、そうした、意見から、建設的な内容を、
どうして産んでいくのでしょうか。 

 自らは、中傷にもなりかねない、ただ、言いたい事をいい、それに疑問を呈す
ると、「感情的」「野次」「やくざ」「ムキ」という言葉を投げかける。
 氏の言葉を借りると、「どんな躾を親にされたのでしょう。」ということにな
りますよ。躾のことを言う前に、話し方の勉強をし、議論の仕方の勉強をされた
方が良いと思います。

                  横浜市 TP