TPさん、高橋さんへ
どちらかというと横レスです。
「BBS」の中では、遠慮なくものが言えるような習慣ができあがったようですが、
この「ご意見」の場所は、飯島さんへの私信の形ですので、遠慮すべきこともあろう
かと思います。
逆に、飯島さんが目を通してくれているので、率直にものを申し上げるのが良いと思います。
むしろ、飯島さんの本心は同情よりも真実を求められているものと理解申し上げております。
でなければ、この苦しみを公にされる筈が無い。
特に、ここでは、少年法改正に限る必要がないというのは、私にとっての安心です。
また、飯島さんが気に食わないと載せてもらえないという緊張感があります。
そして、私信ですので、余り無礼なことは出来ないと思います。
したがって、この場所は思ったままを率直に述べることがもっとも、
この場所を提供してくださっている飯島さんへの礼であると考えます。
そこで、もっとも批判され易い高橋さんの意見ですが、
あえて、提起されているのはこの時代の趨勢意見の1つだと私は思います。
この場所だから、遠慮してものを言ってくれてない人も、もしかしたら、高橋さんの
意見を良しとするかも知れません。
そう思いませんかTPさん。
確かに、ゆうき君の場合を特別に扱いということも納得です。
しかし、別に殺人を競う訳ではないですが、ゆうき君以上の悲劇も沢山あります。
問題はそれを見てみぬ見ぬ振りをする多くの大人がいます。
失礼な言い方かも知れませんが、その傍観者である論理は高橋さんの意見と一致する立場と思います。
なぜ、こうした傍観者が趨勢を占めているのかが問題なのです。
TPさん、この傍観者の立場と対決できますか。
被害者は、おおよそ、人々の多くが傍観者であることを実を持って、感じさせられます。
被害の現場で見せる人々の立ち場はこの姿が多いわけです。
この時に、被害者を救える人は何人いるでしょうか。
ですから、被害者であればこの論理を身につけるでしょう。
今度はもっと、警戒し、注意しないtやばいと。
逆に、このHPでも「私だったら、復習する」と豪語する人がいます。
実はこれが加害者の論理です。彼は明らかに人を殺せる論理を持っています。
私には加害者の論理はありません。高橋さんも同じです。
それが理屈でなく、感情です。
であれば、素直であればあるほど、この感情を翻すことは出来ないのではと思います。
問題は、被害者が自衛の論理を身につけてしまった、この時代精神こそ問題です。
私はTPさんと高橋さんとが相容れない関係などとは思いません。
表現としては、同情的表現か、傍観的表現かの違いです。
いわゆる、飯島さんの不幸を媒介に出会ったとすれば、
それこそ、共通の接点があるわけで、この議論こそ、
なぜ、ゆうき君は死にいたる暴行を受けざるを得なかったのかの真実がえられるからです。
私は、高橋さんの意見からは加害者の論理が出ないであろうと思っています。
やはり、TPさんと同じに、被害者の立場に立っていられる。
加害者の論理は、あくまでも、なぜ、殺すに至るまでの暴行を加えたのかという話です。
私は、なぜ、そこまで憎しみを持っているのかということに関心があります。
もちろん、憎しみがあっても人を殺めることはタブーです。殺めることなく、憎しみ
をはらす方法はある筈です。
それをあえて、死刑を含めて、タブーを犯す法制度や、
私刑を正当化する論理こそ、加害者の論理といわざるを得ません。
「目に目を」という言葉を近代国家は、法による裁きに変えましたが、
いまだに、法制度は、人間に憎しみを植え付け、それが死に至らしめることであって
も、許容しております。
しかも、その報復を死刑執行員に委ねるのですから、
加害者の論理をもっていても、本当は加害者の苦しみは知らないのです。
卑近な例ですが、子供の前で、豚を殺して食えといっても、実は食ってくれません。
あの悲鳴、悲しさを知って、その肉を食う人は相当の達人です。
私は子供が正常であったと喜びます。
憎しみでなく、食うために生命を奪うことが常識になった、時代精神の中で、
私たちは、どのように生命の尊さを子供たちに教えていくのでしょうか。
逆に、加害者は、なぜ、他の生命を立つかの論理を持っているのでしょうか。
その論理を否定するためには、被害者の論理ではどうにもならないのです。
戦争でも、なんでもやれば良いという短絡に繋がる訳です。
憎しみは加害者の論理の1つです。
その他に、どんな論理を子供たちは身につけているのでしょうか。
食うためや、金のため、ではない筈です。
人種が違うからでもないのです。
やはり、ゆうき君がなぜ、死ぬまで、暴力を振るわれたのか、不明です。
被害者が憎むことは簡単で、致し方ないでしょう。
加害者としての論理を貫くならばの前提ですが。
多くの人は心癒えて、事勿れ主義に陥るでしょう。
ゆうき君を殺害した9人の子供たちは、加害者の立場に立っている。
しかし、それが憎しみでやったことなのかは不明である。
彼らは本当にそれを正当化しているでしょうか。それも不明です。
憎しみでは、自らがその立場に置かれるまで、加害者の論理は気づかないでしょう。
そして、もし、加害者になればその論理に気づくでしょう。
無害な人々を殺戮したアメリカやロシアの若者のように、何十年もしてその後遺症が
現れるかもしれない。
私は、未だに、上記のような論理以外に、病気を除いて、加害者の論理があるとは思わない。
それでは、なぜ、ゆうき君が殺されたのか。殺されねばならなかったのか。
仮に彼らが憎しみからとするならば、その原因を突き止めるべきである。
もしそうでないならば、酒鬼薔薇のように彼らは病気である。
保護観察すべき対象である。即座に精神病院に収監すべきである。
その訴えは手法として可能のように思える。
これら以外に、彼ら加害者の持つ論理があるとすれば、その真実を私も知りたい。
なぜ、そこまでしなければならなかったのか。
私たちが、想像できないことをやってしまったのか。
を私は知りたい。
                                       志田 糺