TPさん、踏み込んだご意見ありがとうございます。
確かに、TPさんの指摘は否定のしようがありません。
そして、少年法改正反対は、少年法が完全であるという立場ではなくて、
その理念なりを大事にする方法について、もっと知恵を出し合うべきであるとの立場で、
展開しているわけで、見方によっては、イデオロギー論争に落ち込む欠点もあります。
また、被害者そっちのけで、加害者擁護の方向に向く、危険性もあります。
しかしながら、真に少年犯罪犯罪を防ぐ術が、少年法改正ではないこと、
異論はありますが、被害者支援が少年法を改正しなくても可能であること、
そして、少年法の理念を活かしながら、現在、少年犯罪を防ぐ、あらゆる知恵が出て
いることなど、
加害者である少年との接点を持つ努力が、ボランティアを含むあらゆる視点から実践
されています。
少年犯罪はこの実践上以外からは防げないのではと思っています。
この時に、もっとも加害者側に立つ論理はどのようなものであるかを尋ねているわけで、
TPさんが言われるようにばっさりと犯罪者を切り捨てる方向は間違いであるとの立
場にいます。
もちろん、犯罪者にはいろんなパターンがあります。
そして、更生される例も、TPさんのおっしゃる加害者精神も氷山の一角でしょう。
私たちは加害者のことについて、何もわかっていないのではないでしょうか。
特に、人を死に追い遣る加害者の精神については、誰も理解していないと思うのが実
状ではないでしょうか。
病魔が死を襲う恐怖もありますが、犯罪者によって死に至ることについては誰も知っ
ていないと思います。
それは、厳しくても、彼らに死をもたらすよりも、それを語っていただくしかない。
それが、今後の犯罪防止に繋がるという意見です。
修復的司法はそれを狙っているようです。
犯罪を防ぐのは被害者だけからの展開では絶対に無くなりはしない。
あくまでも、加害者の協力が必要です。
これが更生プログラムであります。まだまだ、未熟ですが。
昔ですが、戦争に行った大人達は、自らが殺害する現場を言葉少なに語ってくれたものです。
子供ながらに人を殺すことがこのように語られて良いものかと考えました。
しかしながら、私たちは、人を殺すこと(傷つけること)のないように細心の注意を払います。
戦争に出かけた大人達は人を殺すことを動物を殺害するように述べました。
しかし、そのことは、彼のより寡黙を誘っていきます。
ベトナム戦争でも、アフガン戦争でも、多くの若者は精神を犯されていきます。
しかし、何故か、そのことに口を閉ざすようになります。
戦争と、少年犯罪とは次元が違うでしょう。
しかし、本当にそうでしょうか。
たとえ、小さな出来事でも、犯罪を否定する心は人に宿っています。
バイクを盗むことすら悪いと判断します。決して罰せられるからではありません。
しかし、それを許していくことが、大犯罪に繋がることが、麻薬と同じく事実です。
TPさんは、麻薬患者を否定する論法に聞こえます。
麻薬患者がそれに至る経過、また、そこから脱する努力は想像を絶するものです。
これには、他人の介添えが必要です。
殺人者といえども、そうです。
彼らが、生れてから、殺人者になったのではありません。
小さな事柄の上に、築かれた人格です。
ですから、彼を抹殺すればすむ問題ではありません。
かれを作り上げた環境を断たなければならないのです。
それは、麻薬の吸い始めのように、本当に目立たないものからの注意が必要です。
しかも、不幸にして、中毒になった患者には、死に購う努力を強いるしかありません。
死に贖う努力を死刑と勘違いされては困るのです。
人間の尊厳は生きることですし、彼にも生きる尊さ、
そして、相手を死に至らしめたことに対する、反省を求めることが必要です。
かつ、加害者であるからこそ、その瞬間を一番理解しているのではないでしょうか。
そのように述べてきた事柄が、TPさんが引用してくれた部分の私の感情です。
少年法改正そのものは私にとっては、利害・イデオロギー展開と思っています。
出来れば、この論争には加わりたくないというのが本音です。
しかし、少年法改正の論争が、少年犯罪について、
本当のことを見出す契機であるならば、素晴らしいことです。
飯島さんの努力に報いているかいなかはわかりませんが、
私がここで、議論したいことは少年法改正ではなくて、少年犯罪についてでして、
ご理解を願えればと思います。