「修復的司法」耳慣れない言葉ですが、テレビ報道です。
日本で紹介されたのも始めてだといいます。
犯罪防止に対する1つの解決手法であると思います。
日本に限らず、外国でも、少年犯罪防止に対して、
厳罰主義はと保護主義の対立があるようです。
修復的手法は、この中間に位置しているようです。
即ち、どちらも決定的な解決にはならないので、
新たに、加害者・被害者が同じ土俵の上がる努力を第三者もしくはコンサルタントが
行うことです。
すでに、アメリカでは、数千件の解決例を見てきているようです。
現在、上程中の少年法改正は、被害者への配慮はもちろん、こうした観点はないよう
です。
このHPは被害者からのアッピールです。
そこで、加害者・被害者の会話を提唱することの限界があります。
やはり、第三者機関としてのコンサルティング手法が必要のように思えます。
話は変わりますが、こうしたことを知れば知るほど、
少年法改正が、なぜ故にこうまで急がれているのかは今でも疑問です。
被害者の声が大きかったからではないようです。
被害者の声を反映せよという民主党案は否決されています。
やはり、少年法改正は年齢制限にあったような気がします。
少年年齢を引き下げることに必ずしも反対する立場ではないですが、
その背景を見ると複雑な思いがします。
現在、憲法改正は1つの流れです。
自国防衛のために、軍事力を強化することも明らかです。
自衛隊は、若き自衛官を求めますが、応募者の少ないことも事実です。
一番、自衛官を増やすに容易な方法は少年年齢の切り下げです。
これは、少年犯罪の議論では常識のようですが、
戦争放棄という哲学からは逆行です。
少年年齢の切り下げと、犯罪との関係も大切ですが、
やはり、私にとっては、軍事強化の1つの突破口が開かれたと思うのですが、穿った
考えでしょうか。
戦争を肯定することは人殺しを肯定することです。
しかも、青少年がその先頭に立つことが要請されます。
外国では、多くの若者が戦場で亡くなります。
日本でも、そのことはつい最近のことです。
憲法は、戦争放棄を提唱し、少年保護を提唱しました。
基本は大人の責任を尋ねた訳です。
少年法はその具体的な解決策です。
しかし、少年法改正は大人の責任を尋ねたものではなく、
逆に、子供の責任を尋ねたものです。
これは、憲法改正を提唱する現在の旧体制派に指示されたものです。
しかも、被害者の心を踏みにじるものです。
私たちは、家庭で、学校で、地域でなにが出来るかという課題は、
それらが、修復的司法における、唯一の場所、機関に他ならないからです。
このHPでもその動きがあります。
それを大きくするとことの意味も大切です。