新聞でホームページの 事を知り、拝見いたしました。
 本当に辛い体験をなさいましたね。友樹君の事、心からお悔やみ申し上げます。
 最愛の息子さんを亡くした耐え難く辛い思い。そのエネルギーが、このホームページを立ち上げる力となったんですね。
その思いが、しっかりと伝わって参ります。
 自我が確立し、自分では一人前と背伸びしてみても、まだまだ未熟で不安定な中・高校生。あるいはその年代の子供たち。その世代の引き起こす事象が、あまりにも大事件になっていくことの多い昨今です。
 程度を知らぬ故か、人の痛みが分からぬ故か。自分の行為の結果はいずれ自分に返ってくる、まいた種は刈り取らねばならないという理に、考えの及ぶ筈もありません。
 しかし、彼らは突然変異で生まれた訳ではありません。
 彼らの行為は甚だしく軽薄で、人の命に無頓着です。彼らは、大事件を平然とやってのけますし、頻発しております。校内暴力、そして小学校での学級崩壊などと聞くと、親世代として何が足りないのだろうかと、考えたりも致します。
 さて、京子さんのホームページを拝見して、何とも重い重い気持ちになりました。
 当然ですよね。子供さんが突然、理不尽な暴力によって、死に至らされ、その後の警察、マスコミ、加害者の対応・態度にも納得いかない事ばかり。いつまでもおさまる筈のない京子さんの胸の内、苦しみでありましょう。だからこそ、重いのだと思います。
 それを理解した上で、私なりの考えを少し書かせて頂きます。反論、愚痴、意見などがございましたら、いつでもお聞かせ下さいませ。ただ、私も仕事を持つ身。結構忙しく、パソコンの電源を入れないことの方が多いのです。メールは携帯電話に転送になりますので、もし、お急ぎの場合はそちらにお願いします。
 まず、一つの仮想をイメージして下さい。
 友樹君が、この世で受けた苦しみや痛みから解放され、平穏な心で、今の京子さんの心を覗くことができたとします。彼には、貴方の姿はどの様に映るでしょう。
 きっとそれは、第三者である私と同じではなかろうかと思います。
 子供を殺され、加害者に子供を返してくれと呪う心の内は、母親として当然ではありますが、さながら修羅です。ホームページからあふれる思いも、執着心であり、復讐心です。
 その姿を見た友樹君は、どんな思いに駆られるでしょう。
 自分の事でこれ程苦しむ母の姿を見たとき、彼はきっと苦しまずにはいられないでしょう。母の心をこれ程までに苦しめている、こんなにも人を許せない、その心を作った原因が自分の存在であることに。
 親より先に先立つ親不孝、と申します。
 引き裂かれんばかりの親の心を、分かる、とは申し上げられません。
 ですが、親が子の死を悲しみ、他者を呪う事によって、子が苦しむのであれば、親はその苦しみを昇華し、子が幸せになれるような、自分の心を作り上げねばなりません。
 そんなことある筈ないと、おっしゃいますか。友樹君は今もあのとき苦しみのまま、あのときの加害者を恨み、呪っていると。
 そうですね。死後の世界など知らない私が引き合いに出すには、少し思い上がった例かもしれませんね。
 でも、考えてみてください。この世に生きている限り、私たちはどんな怪我をしても、苦しいことがあっても、その時を過ぎれば、痛みは消え、元の生活を繰り返そうとします。例えば交通事故に遭っても、車に乗れる限りは、またバイクや自動車に乗ります。勿論、傷害を負ったり、トラウマを抱えたりする場合もありますが、それでも、その中でたくましく生きようとするのが人間です。痛みや苦しみの原因である肉体を失った者が、未だにその苦しみに苛まれていると考える方が、無理があるように思うのです。
 ともかく、ここは例として考えて下さい。
 少なくとも、今貴女が苦しみ悲しんでいることは、友樹君の痛み苦しさを想像しての、悔しさや切なさ愛おしさでありましょうが、それは、あくまでも貴方自身の感情なのです。友樹君のそれとは別のものです。
 そして、そのもはや取り戻すことのできない愛おしい者への切ない情愛は、京子さんが友樹君を子供として授かったからこそ、感じる情なのです。子供とはなんと愛おしいものなのでしょう。
 ここで、少し視点を変えることをお許し下さい。
 京子さん、あなたはこのように考えたことはありますか。我が子が加害者でなくてよかった、と。
 勿論、そんなことは考える筈のないことですね。そんなことがある筈はないですね。優しいこどもさんですもの。
 それを承知でお願いします。考えてみて下さい。直接手を下したという例で無くでよいのです。側にいただけで良いのです。
 悲しいですね。子供が殺人に関わったなど。親自身の人生と、子供の人生と、それらを考えて空恐ろしくなります。勿論真実は明らかにされなければなりませんし、罪が存在すればそれ相応の償いもしなければなりません。
 でも、そんな事に関係なく、殺人に関わったという負い目は、彼らの人生に必ず附いてまわります。
 平然と罪の意識も無く同じ事を繰り返す者は、いずれは自分の思いやりのなさ故に、破滅せざるを得ないでしょうし、平凡な幸せの中に暮らす者は、必ず心の奥底に負い目を抱え、いつその幸せが崩れるかと不安を持ちます。
 でも私は、彼らが本当に自分たちの罪を悔いるのは、彼らが平凡な幸せを知り、愛おしい者を手にしたときであろうと思うのです。少年たちはそれほど未熟であり、未完成でもあると思うのです。
 少年たちに罪を犯させないために少年法改正を、とあなたはおっしゃる。
 本当に若い未熟な人たちに、こんな罪を背負わせたくはありませんね。
 でも、重い罪が少年にも課せられるから、犯罪が少なくなる、と言うのは、確かにそういう一面は否定できませんが、何か違うのではないかと考えるのです。
 そして、それをおっしゃるあなたの言葉の裏に、復讐心を読みとるのは、私だけでは無いと思います。
 責めている訳ではありません。憎んで当たり前です。許せる訳がない。
 しかし、世の中から、こうした犯罪を無くしたいという、あなたの心もまた、本物に違いないと思います。
 酷ではありますが、もし我が子が加害者であったらと、その心を、想像力を働かせてみることはできないでしょうか。母として、それれそぞれの子供たちの立場にたって。
 謝りにもこない。本当の事を言わない。敵意さえ感じる。そんな人間の心にまでとお思いでしょうが、そこにもまた、愛おしむべき人間がいることを認識して頂きたいのです。
 これは理屈です。理屈で分かっても、心はそうはいかない。当然です。許すことなどできるはずもない。
 それで良いのです。
 理屈を理解し、それでも思い通りにならない自分の心を知り、今まで知り得なかった愛おしさや、切なさを知り、それらは全て、息子さんが身を挺して、あなたを成長させようとしている以外の何物でもないではありませんか。 
 勿論、現実には誰も自ら求めて、そんな生き方、死に方などしません。
 あくまでも、これは受け止めかたなのです。
 友樹君の十五年の、あなたの子供としての生涯を、あなたの中で、どう高めていくことができるか、これは母親としての使命ではなかろうかと思います。
 親より先立つ親不孝はないと言います。
 あなたの心を思うとやりきれません。
 でも、子供さんをそんな親不孝者にしないで下さい。友樹君の生涯を縁として、あなたが成長してください。
 親の心子知らず、とも言います。
 友樹君には、今のあなたの恨み辛みの醜い心は、疎ましいかもしれません。
 京子さんはどうでしょう?ご両親の心を思われますか。おじいちゃん、おばあちゃんにとっても、孫の死は悲しい事でしょう。孫は子よりもかわいいとも聞きます。でも、その心は、息子の死を悲しむあなたに向けられているとは思いませんか。息子の死を思っては悲しみ苦しむ娘の姿に、どんなにか苦しい思いを募らせていらっしゃることでしょう。
 その思いは、親であるあなたにはきっと想像できることだと思います。
 
 私たち人間は、親先祖から脈々と受け継がれて来た命の営みがあって初めて存在しています。それらへの感謝や畏敬の念は大切です。
 しかし、元を正せば,この地球も、そこに生まれた私たちも、宇宙の塵から生まれた者です。
 私は、死は、肉体がその宇宙へ帰ったようなものだと思っています。
 いつか、あなたが友樹君の死を、前向きに受け止める事ができるようになり、その寂しさ悲しさを、他者への慈悲に変えることできるように努力し始めたとき、彼の心も安心して存在の起源へ帰っていくことでしょう。
 親の心が救われたとき初めて、彼は自らを親を幸せにする存在として認識して、安心すると思うのです。
 死んだ子の年を数えて、生きていたら今頃あの子は、等と考えるのは空しいだけです
 あなたの並々ならぬエネルギーを引き出してくれた息子さんのご冥福を、心からお祈りいたします。 
  FH