10月16日付けbP104、東京国際大学人間社会学部福祉心理学科・時澤裕子さんが、四つのテーマ「@少年法改正についてA加害少年の裁判や審判後のことについて、BマスコミのありかたについてC少年犯罪の加害者の人権について。の皆さんの各ご意見をお聞かせ下さい」。とのご要望がありましたので、@について私の10月15日付けbP096拙い愚見に、以下を追加させて頂きます。
                      記
「法律,裁判、判例、弁護士、司法試験を考える・法律家juristの主張・提言・法学部学生や司法試験受験生へのメッセージ」と題する法律家jurist先生の日記風の御提言(平成12年9月11日付け)の一節でたまたま少年法改正に関連するご意見が公開されていまして、私も全く同感であることからご参考までに同先生のご意見からその部分を抽出してコピーさせて頂いたのが下記です(注、同題名は「死刑制度につぃて」ですが)。
 
▼『問題は凶悪犯罪を犯した者が、死刑が制度があったら、犯罪を思い止まることがあるかどうかだ。自分の生命がたたれるという恐怖(生命への執着)は人間にとって最大のものだ。それに行動を抑止する力がないとは到底思えない。最近、凶悪犯罪を起こした少年が、少年法によって死刑にはならないと知っていたからともいっている(17歳の少年の犯行計画を書いた日記をみてみると分かるが、殺しても数年で出てこれると思って殺している)。また、古くから暴力団構成員が殺人をしても、出所すれば組での地位があがるからという理由で殺人するという例はよく知られている。これらの場合に、人を一人殺せば、死刑になるということになれば、犯罪が抑止されることになるのは明白だろう。割にあうかどうかを考えないで凶悪犯罪をする者もいるが、検挙された場合に割にあうかどうかを考えて凶悪犯罪をする者もいるのだ。
ストーカー犯罪を含めて凶悪犯罪が増えている今日、死刑を存置することによって、 善良な人々の生活の安全を守り、社会秩序を守ることが必要だと信じる。
存置ばかりか、私は、人一人殺したら、原則死刑でよいと思っている。それでこそ、刑のバランスがとれているではないか。まだ論ずべき点はいろいろあるが、ここまで。(思いつきで書き、見なおしもしないから、文法的におかしいところや、誤字・脱字もあるだろうけど、ご容赦下さい。話すつもりで,感想をいったりするからね。雑談のようなものですから)。
 
なお、私は追って,上記テーマB「マスコミの在りかたについて」の愚見を送信したいと思っております。    中野廣治