貴方のメールを読んでいてとても疑問に思うことがあるので、
出来ましたらお答え下さい。
@ 「私は犯人を見つけたらその場で殺す」 中略 
    バイクの盗難もそれくらい卑怯で憎い犯罪です。
このご意見はつまり「バイクを盗む行為=犯罪が許せない」という考え方から出
てきたということですか?つまり『犯罪』というくくりの中にあっては、「窃盗」
も「殺人」も同じものであり、その内容はどうであれ、犯罪自体どのような犯罪で
も同等の重さをもって糾弾されて当然であるということですか?
A バイクを盗む行為は死を持って償う犯罪ではない。しかし死んで許される犯
  罪なんてない
これはどういう意味ですか?私にはどうも意味が分かりません。貴方は犯罪を非
常に憎み、バイクと人の命が同等であるなどとは考えていないけれど、犯人を殺
したい気持ちは変わってないのですよね。でもその怒りは貴方が関わった事件の
関係者だけに持っているもので、一般論ではないということですか?死んで許さ
れる犯罪などないと思ってらっしゃるのなら、どうして貴方はバイクを盗んだ少
年や家族を殺したいのでしょう?

このHPに意見を寄せている方は、ただ感情的に報復論に走っている人ばかりで
はありません。私もそうですし、志田様も「罰することより律することのほうが
大切なのでは」とメールに書いてあります。当然友樹君のお母様も、殺されたか
ら殺してやると単純にそのようなことを考えているわけではないと思います。
もし友樹君が生き返ってくれるなら、
冷静に客観的にこの事件に対して考えられ、意見を述べられる方だと思います。
でもその本当に切望している想いは決して叶えられないのです。
そのような立場の人間の諦められない無念さとか、どうしようもない憤りがある意味客
観性に欠けた思いになったとしても、それは人として当り前の態度ではないでし
ょうか?貴方のメールには、京子さんが友樹君を想うあまりに感情的になってい
て、その感情には公平さが欠けているというような考えがありますが、貴方が犯
人をその場で殺したいと思ったのとどこが違いますか?
自分は感情に走っても許されるのに他人は許せませんか?京子さんの子を想う気持ちが激
しすぎたとしてもそれは当然ではありませんか?後悔と絶望の中にいる人に向か
って他人が「感情論に走っているよ」とか、「自分にも責任があるじゃないか」
などと言うのは人として、あまりにもおこがましいのではないでしょうか?
過激な報復論を述べている方は、「子供を失った親の悲しみ」に心からの同情があって、
それは一般論からすれば間違った意見ではあるけれど、今はそう言うことで、彼女の心を慰めたい。
京子さんとともにシンパシィを感じ、痛みを分かち合いたいと、
ただそういう優しさから出ている言葉なのかもしれません。

後、バイクの窃盗がこの事件の原因となっているという考えは違うと思います。