HP「マイエンジェル」読みました。
さまざまな意見があるのも読みました。本当にさまざまですね。
人の命とバイクが同等であるという考え方をしている人間も
いるとは。その他にも全く残酷な意見もありましたね。
自分がその場に立たされてみないと、
本当のところは分からないのかも知れませんが、
人間には想像力と言うものがあります。
「二時間以上に渡り、蹴られ続け殴りつけられる事」がどんなに苦しくて痛いか。
「九人もの人間」が一斉に自分に敵意を持ち、
集団で暴力を振るわれると言うことが
どんなに恐ろしく屈辱的であるということか。
加害者の少年達の話しを読みますと、
誰一人その恐怖を本当には理解していないように思います。
彼らは自らを、「集団の中の一人」であって、
それは匿名性を秘めた犯罪のような、
他人事のような気分でいるのではないでしょうか。
「自分だけがやったわけではない」
と互いに罪の深さを押しつけあって、自分が人間を殴って死に至らしめた行為を
深く考えていないのではないかと思ってしまいます。

でも彼らをそうさせているのは回りの大人です。
人間は生まれてきて学習していく中で、その時代の価値観や道徳を学んでいくの
です。
戦前の日本の教育を受けて育った人間が、戦争を食い止められなかったことでも
それは分かりますよね。今の私達なら我が子を戦場へ送るなんて
絶対NOと言えますから。
加害者の少年達の育って来た環境の中での教育は
「強いものは弱いものを踏みつけてもいい」
「自分の気分を害した人間に対しては気がはれるまで痛みつけてもよい」
「悪い事をした奴は暴力で解らせる」
「自分の大切なもの以外に対しては、死のうがどうしようがしったことではない」
そういう考え方です。
それは暴力団の親族、謝りにもこない親、そして警察の人間、マスコミの人間。
その大人達、全てに通じる考え方ですね。
悲しみの淵に沈む沈む人間に対してなおかつ悲しみを抉り出すような
容赦のない態度。
これらの大人達は心のどこかで、人のことなどどうでも良いと思っているのです。
自分の命。他人の命。
同じ命でありながら自分の他はどうでもいいのです。

私は思いますが、こういう考え方をしている人間を矯正し、正しい道へ導く事は
出来るのでしょうか?
HPの書きこみをしている方の中にもこういう考えの方はいらっしゃると
思います。その一人一人に
「その考えはおかしい」と言ってまわれたとしても
言われたからといってその人が考えなおすでしょうか?
そしてその考えかたの根底にはだれもがもっている「勝手さ」。どんな人間にも
ある「私だけが」という考え方があるのではないでしょうか?
どうしたって生きてる限り逃れられない自己中心の独り善がりの都合の良い
考えです。


京子さんはアメリカのMurded Victim`s Family`s  For Reconciliation
[MVFR]という会をご存知ですか?
私もうろ覚えで申し訳ないのですが、犯罪に遭われ、家族の命を奪われてしまっ
た遺族の会です。
その遺族の会の方が、犯罪における最高刑の「死刑」の廃止を求めて活動してい
るのです。
ずっと前にテレビでその会の活動の様子を流していました。
たしかデビットさんという、強盗に奥様を殺された方が出ていました。
デビットさんは奥様を殺されただけでなく「誤認逮捕」をされて
何年か無実の罪で刑務所へ入れられていたのです。
ただの無実の罪ではありません。奥様を殺した犯人と言う風に仕立て上げられて
のことです。
それは警察のずさんな調査によってでした。
警察はとりあえず犯人を捕まえておけばよいという考え方だったようです。
彼はインタビューに答えその時の気持ちを語っておりましたが、
そのお気持ちは語られている一言一言
以上に聞いている人に響いてくるものでした。
デビットさんは「妻を失って残された僕と二人の子供は途方にくれていた。その
悲しみも辛さも癒えないうちに僕が逮捕され子供達は思春期の多感な時に『殺人
者の子供』というレッテルをはられ、世間に放り出された。刑務所の中で僕は何
度復讐を誓ったことか。頼るべき両親を失って辛い想いをしている子供達のことを
考えどんなにすべてを呪ったことか」と語られていました。
そして真犯人は未だに捕まっていません。
それでもデビットさんはどこかに隠れ何の罰も受けていない犯人を
今は許すと言っていました。どんな目にあわせてもあわせたりないその犯人を
許せるとおっしゃってたのです。
そうしてその気持ちに賛同した他の犯罪被害者の方とともに「死刑廃
止の会」をつくり全国を旅しています。
どういう心の動きがそうさせることになったのかは私にはうまく説明
できません。でもデビットさんがその心境を語られている時、
私は本当に犯罪を憎み、被害に遭われた方の無念さをまるで
我が事のように感じていました。
第二次世界大戦の時ドイツでユダヤ人の大量虐殺がありました。
「夜と霧」読まれた事ありますか?
アウシュビッツの強制収容所に入れられていたユダヤ人の精神科医であるフラン
クル博士が書かれた本です。
この本に書かれている内容はデビットさんが苦しみの末に辿りつかれた
結論と同じ考えです。
ぜひぜひ一度読んでみてください。

私はもし子供が誰かを殺してしまい、その親に「私の子供も殺されたのだから
あなたの子供も殺してやる」
と言われたら「そうですね。分かりました。殺してください」とは言えません。
子供を殺された親の苦しみには
我が子の命を差し出すしか癒される術がないと知っていても
「殺さないでください。こんなおろかな子供ではありますが殺さないで」と
泣いて謝り我が子を守ってしまうと思います。
誰かを傷つけとりかえしのつかないことをしてきても「この子にも
同じ目に遭わせて下さい」と差し出す事は出来ません。
世界中に非難されるような人間であっても、私には大切な我が子だからです。
ですから加害者の少年達にもどのような刑罰が妥当であるかわかりません。
ただこれは絶対に思うのですが
「悪かったのは環境なのだから
実際に殴る蹴るの暴行を加えて死に至らせた少年に罪はない」とは言えません。
そんなことを認めたらこの世の中の根源にまで遡って考えなくてはなりませんよね。

京子さんは本当はどうして欲しいですか?
彼らが自由もなにもかも奪われて生き地獄のような場所で死ぬまで
苦しめられてのた打ち回っていてほしいですか?
自分達がやったことと同じ事を彼らに味わわせて、
「なんて痛いんだろう。苦しいんだろう」とうめかせて欲しいですか?
私だったら本当に心の底から悔やんで欲しいです。
少年達が他人の痛みを理解出来ずにやってしまったことは、ゆうきくん一人を
ずたずたに殺しただけではなくその家族をも巻きこみ
不幸のどん底へ叩きつけてしまったということを
心の底から理解して死ぬまで悔やみ続けて欲しいです。
被害者の遺族の方の生涯忘れられない慟哭の痛みを、
彼らにも同じく感じて欲しいです。
ゆうきくんがもう二度と食べる事の出来ない好物や、かわいがっていた犬を
抱けないのに、自分はのうのうと好物を食べ楽しい事をしているという
ことに一分一秒でも恥を忘れて欲しくありません。
そういう心になれるように裁いてもらいたいと思います。
ただ罰を与えるのではなくて。
そしてそれはそういう心を持っている人からしか、与えてはもらえないと
思うのです。

そしてこの事件を取り巻いた大人は罰して欲しいと思います。
特に警察のずさんな捜査や納得のいかない言動に関しては、我々一般緒市民は警
察に「公務執行妨害」と言う言葉で逮捕される事もあるのですから、公務を執行
しなかった警察の人間は逮捕され、投獄されるのが当然だとも思います。

どうか残されたご家族の絆をしっかりと強く持って
これからも息子さんの生きていたこと、その命の尊さを引き継いで
生きてください。


             石山 孝子