ご意見をありがとうございました。
 
 少年犯罪を論ずるHPで、自由な論議が拒否されていることに抗議をしたことが、今回の論争の発端でした。私はこのようなことを黙って見過ごすことの方が、問題だと考えます。子供達のいじめを非難できないと思います。子供達も見ています。子供達は言葉にとても敏感です。
 
 この件に関する私自身の意見は、少年法の改正についての意見とは直接関わりないことですが、論議をする土壌が、異質の意見をたたき出そうとする土壌であったら、論議の真の実りは難しいと思います。
 
 
 少年法改正要求は、当事者の飯島さんおよび被害者の会中心のお仕事です。冷たい見方をしているわけではなく、当事者の方でないと難しい問題が多すぎると思います。ぴったりと同行できる方もいらっしゃるでしょうし、私のように実践でも書くことでも教育をテーマとしている者は,刑法等の絡みで、意見の違う部分が出てくるかもしれません。そのことは友樹君の死をいたむ気持ちとは別の問題です。
 
 それぞれの立場での意見が求められているのではないでしょうか。ずれているとおっしゃいますが、私はむしろ他の方の同じような意見や感想があれば、重ねて書きこまないと思います。経験から出た独自の意見や思いを中心に書きこんできたつもりです。私的な背景をあえて書きこんでいるのは、言葉を一般論でしか受け取られないため、一つ一つの言葉と思想が経験の結果であることを分かってほしいためです。
 
 法改正は一つの条件整備でしょう。しかし、それ以前から、そしてこれからも、心の教育の問題が続いていきます。教育の立場と少年達をとりまく法とどこまでなら折り合えるか、私にとっては難しい問題です。抽象論などではなく、教育現場では、子供達の心と向き合う必死の努力が日夜続けられています。多くの家庭や地域でもそうだと思います。
 
 意見の違う人を排除するのでなく、なぜそのような言葉が書きこまれているのかを、問い返すようにしてください。これは私のためではなく、このHPの論議をたいせつにするための最小限のマナーだと考えます。
 
 法源様のご意見を同列にされているようですが、このかたのご意見は、全面排除されているわけではなく、温かく3人を公平に並べて、建設的な論議をしなさい、とおっしゃっているので、あえて反論はいたしません。
 
 私のほうこそ同じようなことばかり書きこみたくありませんが、どうしても言わなければわ
からないと考えて書きこみました。  言葉は私にとって「命」です。それについて、重大な否定をされるときには、せめてペンネームでお願いします。  
                                    飯田 啓子